にゃごにゃ小学校

本家(HP)作製のネタ、あるいは記事にするには寸足らずな話を日記兼用でアップします。

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 昨夜のBS-hiで、イギリス制作のドキュメンタリーが放映されていた。

 このスペースシャトルの事故は、個人的にけっこう印象的な2つの記憶を残している。
 一つ目は、このブログではちょっと書きにくいので割愛するが、二つ目は、アメリカに出張に行ったとき、ワシントンのスミソニアン博物館へ、当時ジョージ・メイスン大学で教鞭をとっていた知人の大学教授に連れていってもらって見た、NASA制作のスペースシャトル・ドキュメンタリーフィルムだった。
 とりわけ大きなスクリーンで、迫力のある映像と音響で、誇らしげにスペースシャトルの活動を紹介する映画なのだが、どうしても打ち上げのシーンでは、あの爆発のシーンがオーバーラップしてしまって、映画制作者の思惑とは異なる感慨が離れなかったのを鮮明に覚えている。もっともこれは、アメリカ人を含む他の観客の多くもそうであっただろうし、また今同じものを見ても、やはりあのあまりに強烈な悲劇の印象を拭いさることはできないだろう。

 ところで、昨夜のドキュメンタリーでは、改めて現場にいた人たちを取り巻くドラマに驚かされた。
 事故が、低温によりOリングと呼ばれるシールゴムの劣化を招き、燃料漏れを起こしたために起きた、ということは、知っていた。だが、搭乗員も含め、多くの人がその危険性を十分認識していたという事実は、かなりショッキングだった。

 乗組員は、打ち上げ前夜が氷点下5度に達する低温であったため、打ち上げ延期を確信してくつろいでいたという。家族への電話で、打ち上げ前に数日、自宅に帰れそうだ、と話していたクルーもいた。
 機体に何十センチもの長さの氷柱が下がるほどであったということもあるが、Oリングが低温で性能を落とすということは、どうもクルーたちにとっても周知の事実だったようだ。
 船長は最後の妻との電話で、いつもなら明るく「行ってくるよ」というところを、非常に不安そうに、「一週間後に・・・」といって電話を切ったという。
 打ち上げ時には多少気温が上がったとはいえ、過去もっとも低温で打ち上げたときより、さらに10度低かったそうだ。



 まったく危険を知らず、NASAの技術を信頼しきっていて事故にあうのならまだ救いがある。かなりの確率でやばい、と知りつつ、はらはらして乗り込むなんて、まるで電気椅子である。

 Oリングの製作にあたった下請け企業は、打ち上げ時の環境が非常に危険なものであることは十二分に認識し、NASAに注意喚起し、中止を訴えていたそうだ。それでも強行されることになったが、その企業の技術担当幹部は、機体が無事上昇を開始したとき、何とか切りぬけた、と胸をなでおろしたと証言している。つまり、打ち上げ台の上で、爆発四散してもおかしくないくらい、いちかばちかの決行だったということだ。

 結局、職場を去らざるを得ない人は何名かいたが、公式な処罰等はいっさいなかったという。死のリスクを覚悟の宇宙船搭乗とはいえ、遺族の多くはやはりやりきれないに違いない。

 砕け散ったロケットの炎の中から、座席ごと飛び出していくクルーの映像も残っているが、この時点ではクルーにはまだ意識があったと考えられるという。死因は高高度から海に叩きつけられたことだというから、せめて最低限のパラシュートでもつけられなかったのかと悔やまれる。
 犠牲者の冥福を心からお祈りする。

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