にゃごにゃ小学校

本家(HP)作製のネタ、あるいは記事にするには寸足らずな話を日記兼用でアップします。

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 昨日から今朝にかけて、兵庫南東部では、おそらく乾季にあたるこの時期には珍しい強い雨がありました。今朝になっても近くの川はいつもの数倍の水量で激しく水音を立てていますし、一庫ダムでは前日まで86%程度だった貯水量が、一夜にして93%になりました。午後、見に行ってみると、文字どおり満々と水をたたえていました。また、近所の公園の池も、なみなみと、といった感じで、水がたっぷり貯えられています。

 森林の伐採、あるいは宅地などの開発、またコンクリートやアスファルトの舗装により、土地が本来持つ保水能力が著しく低下しているとはよくいわれることですが、午後、ジョギングをしていて、それを実感しました。
 深夜には雨が上がり、すっかり晴れ渡っているのに、田んぼや猪名川に流れ込む小川や小さな水路から、実に勢いよく水が流れ込み続けているのです。なるほど、近くの川が音を立てて大量の水を流すわけです。
 それらの水路に勢いよく水を流し込んでいるもとをみると、こんもりした小高い小さな山に過ぎません。ただし、木々が密集して、緑が非常に豊かな山です。
 理屈では、軟らかい土や草、潅木、そして高い木々が水を貯え、時差を与えて徐々に下流に流しこんでいるということはわかりますが、実際に大した高さも広さもない山が、これだけの水を放流し続けることができるという事実は、とても不思議な気がします。神秘的とさえ感じられます。
 ひとつだけ確かなのは、そうした山を人が切り開いてしまえば、降っただけの雨を一気に下流に流し、そして雨が上がれば乾いてあとはなにももたらさない、アスファルトのような土地を生むだけだということです。
 多くの便利なものが生み出され、その恩恵にあずかっているわれわれですが、自然の精妙さに比べれば児戯に等しい。神様から見れば、むしろ破壊しかできないのが現代科学ではないかとすら感じられます。

 ほんの少し自然の豊かな場所で暮らすだけでそうした体験を得られるということは、逆に言えば都会生活になれたわれわれがいかに自然本来の素晴らしさ、偉大さを見失っているか、という一つの証明のような気もして、しばし考えさせられた私でした。

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