にゃごにゃ小学校

本家(HP)作製のネタ、あるいは記事にするには寸足らずな話を日記兼用でアップします。

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 この事件については、また愚にもつかない意見が続出することがわかっているので、かかわらないつもりでした。が、小夏さんが取り上げられていて、コメントしたところ、「文章が長すぎる」とシステムに怒られてしまったので、やむなく記事としてアップします。

【案の上の混乱、破綻、倒錯というか。
私は小夏さんの「良識的な」感覚に全面的に共感を覚えます。

理屈ばかりで心のない教育が、戦後の日本を支配してきたから、ふつうのまともな感性を失って、味噌も糞もいっしょにした論法の識別もできない。

生き物は、他の生き物の犠牲により生き長らえている。たとえ菜食主義者でも、植物も生物であることや、食物連鎖を考えれば、同じ事。そもそも、誰も自分で自分の心臓を動かしているわけではない。われわれ人間も、「生かされ、生きている」。

食物に供するため、あるいは人間の生存を維持するために、屠殺したり漁をしたり、「害獣」をコントロールしたり、これは、生き物を食べずには生きられない人間の原罪と言えなくもない。要は、そのことに対して、犠牲になってくれている動物たちに感謝する気持ちがあるかどうか。そして、そうして得られた自分の命を、少しでも他への奉仕や社会の調和に生かし、報いようとする気持ちがあるのかどうか。それとも万物の霊長の当然の権利として、感謝もなく飽食しているだけなのか。理屈をこねて、子猫殺しも漁業も同じだと言い切るのかどうか。
「動物にとっては人間に感謝されようがされまいがいっしょだ」という発想しか持てない人は、まさにそうした動物たちを食する値打のない人生を送っているとしか言いようがない。もちろん、私がその人たちを生かしているわけではないから、その生存自体にあれこれいう資格はないが。

同時に、殺さなくてもいい動物を殺すのは「無益な殺生」。それを避けて、同じ生き物として、縁ある生き物に対しては思いやりを持って共存していきたいと思うのも当然の人の心で、それは人間が他の動物の犠牲により生存している、ということで否定される性質のものではない。むしろ問題は、人間の自然に対する傲慢さにあるが、それはまた、別の問題、ごっちゃにせず、ちゃんと整理するのが理性と言うものだ。

案の定と言うか、あの作家に共感を覚える顛倒妄想の人たちが少なからずいるようだが、大半の理屈は、「動物は他の動物を殺す。だから人間が人間を殺すのも自然なこと」という理屈を信じている某大学生と同じ結論に達し、それを否定する論理も見つけ出せないに違いない。

ついでにいうと、小夏さんのいわれる通り、私も人間が愛玩動物としてペット化すること自体は、あまり正しいとは思えません。ただ、動物の存在意義についてはいろいろな意見の人があるとは思います。もちろん、盲導犬などは別です。ペットではないですから。

小夏さん、長々とすみませんでした。】


社会の底辺さんの記事にもリンクさせていただきます。

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コメント

にゃごにゃさん、はじめまして。

ワープ的なコメントをする無礼をお許し下さい。
多分私の感性は狂っているのかも知れませんが、かの小説家の文章はふてくされた口調のやけくそな暴露という形に読めます。誰かに咎められたから「そーだよ、だからどうした」みたいな。見苦しい態度だし子猫が対象だからエグ味が強いのでしょうが、ある面では現実の道理を突きつけているので多くの人の気分を害すのではないかと思います。

ものを口にするとき、犠牲に対して常に感謝の気持ちを忘れてはならないとずっと考えてきましたし、今もその気持ちは変わりません。
ただ、それを信じる一方で、所詮気休めの理屈だと割り切る自分、単なる自己欺瞞だと責める自分もいるんです。それらが交互にぐるぐると巡っています。
自分が喰われる立場になったとして、感謝してやるから死ね、と言われても納得できない。無益であろうと有益であろうと殺される側にとっては同じ事だから。
私にとって動物園やペットショップは、動物が人間のために犠牲になっている事実を否応なくつきつけてくるので幼い頃も今も苦手な場所です。熱帯魚を飼ったおかげで学んだことはすごく多いけれど、後悔も学んだことに違いないのです。
むしろ、この事を通じて生命に無関心な人も関心を持って欲しいと思います。ただしマスコミや心ある人には子猫だから云々という取り上げ方だけはして欲しくないです。
「ミミズもオケラも」的であるべきだと考えます。みんな友達だとは言えませんが。

視点

よろづ屋TOMさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

TOMさんの小夏さんに対するコメント、私も非常に納得して、すばらしい内容だと思っています。
ましてや、かの作家と同類の考えとはこれっぽっちも思っていません。
生きていく上で、他を侵さざるを得ないこの世の仕組の中で、みんなジレンマを感じながら生きていますよね。
TOMさんの内省的な考え方には、大いに共感を覚えます。それに、あんなふうに書きましたが、うちでもネコを飼っています。避妊して(o_o;)。まあ、私は反対したんですが、妻は大いになぐさめられているようで、一概に否定もできません。

私のコメントは、視点というか捉える側面というか、それがTOMさんと違うため、誤解を与えてはいけないと思い、あのようにコメントに付記しました。あれは本心ですし、ほんとにTOMさんの誠実な考え方は、美しいと思います。たしかに、子猫だから騒いでいるという、御都合主義の側面は、いつもながらマスコミに見られますしね。

私の記事というかコメントが、TOMさんに対して否定的だと感じられたとしたら、お詫びします。そうした意図はまったくありませんので。
これからもよろしくお願いします。

TBありがとうございます。

にゃごにゃさん、こんにちは。
共感して下さってとっても嬉しく思います。また、かかわるつもりがなかったにゃごにゃさんを、無理やり引きずり込んでしまったようで申し訳ないッス。(ぺこぺこ)(^^;

個人的には、坂東氏の言い分に100%共感できないという訳じゃないんです。
ただ、やはり彼女の最終決断には疑問符を投げかけざるを得ません。「人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っている。」という彼女自身の前提があって、そこからどうして「子猫を殺す」という結論に至るのか、、、彼女が「ペット」と「野生動物」を一緒くたに捉えてしまっていることが、結果として彼女自身の矛盾に繋がっているような気がするのですが、、、うーん、やはり彼女の気持ちはわかりません。

ところで、「人は他の生き物に対して、ペット化する権利はない」と記事の中で主張しましたが、何を隠そう私自身ワンコの飼い主です。それもめーっちゃ溺愛ママだったりします(笑)。まあ、そんなこんなで今回の記事にはいろいろショックな部分やら、改めて考えさせられた部分やらあったわけですよ。。。うん。

ペット

小夏さん

>> かかわるつもりがなかったにゃごにゃさんを、無理やり引きずり込んでしまったようで申し訳ないッス。
いえいえ、小夏さんが行くならどこまでも(笑)。

そーですか、小夏さんもワンちゃんを。上にも書きましたがうちはネコです。

なんというか、犬とかネコは、ちょっとほかの動物とは違いますね。ペット向きと言うとおこられますが、少なくともワニとかサソリとかカミツキガメとか、そういうのを無理矢理ペットにするというのとは、「邪道度」が違うような(笑)。

ひとそれぞれの価値観はあって然るべきなんですが、程度の問題というのもありますし、やはりちょっと今回のはひどいですよね。

お気遣い心から感謝いたします

にゃごにゃさん、突然屁理屈を並べ立てたコメントにもかかわらず、気を遣ってくださったコメントありがとうございます。
結局、まだ何か書き切れてない気がして、自分のブログにも記事アップしてしまうハメになりそうです。小うるさくて申し訳ありませんが、書けたらトラバもさせてください。
直木賞作家さん、ホントに難儀なコラムを書いてくれたものです。無視すればいいんでしょうけど、よりによって私が一番ひっかかるツボに一矢くれたものだから…

こんな私ですが、こちらこそこれからもよろしくお願いできれば幸いに存じます。

こんばんは

にゃごにゃさん、TB、リンクありがとうございます。
まあ、人の数だけ想いがあるのが世の常。
TOMさんのコメントも理解できますし共感もできます、
小夏さんのコメントもしかり。

ただ、もっと穿った考え方をしてみると、
このキチガイ作家

「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない」
「私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろんそれに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。」

こいつは社会的責任をたてに自己の行為を正当化させようとしていますが、社会的責任を唱える前に、もっと前面に社会的道着、倫理を伴ってのこと。
それは世の法律を守るというとっても簡単な事で実行可能で、
「去勢する権利がない」
「命を奪う権利はない」
とアンチノミーな事を抜かして、ワザワザ残酷(違法、反社会的)な方をあえて選択する。

正気とは思えませんし、話が違います。

仔猫を殺す事に理屈付けしているようにしか思えません。

まあ、あとは自分のBLOGに書いたまんまですが。

汚い言葉遣い失礼しました。

本音あってこそ

よろづ屋TOMさん

少しずつブログの記事を読ませてもらっています。
私がかかわらせてもらっているどのブログもそうですが、TOMさんも、本音で意見をぶつけあえる方だな、という印象です。こちらの勝手な思い込み化も知れませんが。でも、それでこそブログだと思います。そうでない、例えば仲良しクラブもあって、それはそれで否定する気は毛頭ないですが。

トラバ、期待しています。
ツボにはまった意見、というのは、それはそれで自分の価値観を見直すいいきっかけになり、有意義ですよね。
これからもよろしくお願いします。

朝日新聞的

底辺さん

かの作家の論法は、個人的には非常に朝日新聞的だと思います。
本質的には矛盾だらけの論法に詭弁を行使して、もったいぶった文章で読者を煙に巻く。
またそうしたわけのわからん文章をありがたがる人間がけっこういるからややこしいですね。
むちゃくちゃな理論の新興宗教を、よおわからんからありがたがる信者たちと同じです。
あ、御存じのように私は信仰者です。念のため。

それにしても、底辺さんの軸のぶれない理性というか信念というか、ものの本質をとらえた見方には
改めて感心しました。すばらしい受け答えでしたね。

そうした信念の発露であることが分かるので、一般的には忌避される表現を底辺さんが使っても、ぜんぜん気になりません。

それにしても、日経の迷走ぶりはほんとに異常ですね。どうなっていくんでしょうね。

買いかぶりすぎですよ。

私は単に傲慢な偏見で文句をたれているに過ぎません。
本来なら尊敬していた漫才師の人生幸朗さんみたいに庶民の溜飲を下げるような文句をたれ、いいすぎた部分は生江幸子さんみたいに誰かに突っ込んでもらえれば随分緩衝効果があったとおもうんですが。
ホントは気になろうが腹が立とうが自分に直接関係ないなら黙っていれば幸せでいられるのに、ついつい余計なことを書いたりしゃべったりするから駄目なんですね。

私は失格人間です。あとは寿命が尽きるまで今の業を背負ったまま生きることだけが罪滅ぼしなだけの、取るに足りないものです。
ときに愉快な思いをさせると思いますが、ご容赦願えれば幸いに思います。

わたしも

よろづ屋TOMさん

わたしだった単なる文句垂れです。別にたいした主張があるわけでもなく思いつくまま書きなぐっていて、ときどきほかのかたのブログを読ませていただいて共感したり感心したりしているだけですから。
>> ホントは気になろうが腹が立とうが自分に直接関係ないなら黙っていれば幸せでいられるのに、ついつい余計なことを書いたりしゃべったりするから駄目なんですね。
けっこうブログを書いている人たちはみんな、そう思っていたりして(笑)。
突如やめてしまう人も、そういう理由かも。
でも、やっぱりネットの情報交換で、自宅に配達されて来る新聞だけ読んでいた人が、現実に、あるいはバランスの取れた見方に目覚めるという効果はぜったいにありますよね。デマもまじったりしますが。

>> 私は失格人間です。あとは寿命が尽きるまで今の業を背負ったまま生きることだけが罪滅ぼしなだけの、取るに足りないものです。
とてもそういうスタンスには、ブログを拝見しても思えませんよ。少しでも業を減らせるといいなと私は思ってます。あ、それならブログなんか書いてちゃだめか(笑)。

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