にゃごにゃ小学校

本家(HP)作製のネタ、あるいは記事にするには寸足らずな話を日記兼用でアップします。

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 先日、前に会社でインターンシップをしていたドイツの大学生、エアハルト君(仮名)が、泊まりがけで奥さま、2人のお嬢さんを連れて遊びに来ました。

 このとき、男の子がほしい、ほしくない、の話になり、意外なことを知りました。ドイツでは今でも、徴兵制なのです。
 支那、韓国のように後進国や中進国である場合、あるいは先進国でもスイスのように重武装中立の政策の国は、徴兵制をとっていることもわかるのですが、ドイツのような西側先進国で徴兵制の国があるというのは、認識不足と言われればそれまでですが、かなり意外で、驚きました。
 もっとも、フランスも、2001年までは兵役制度がありました。

 エアハルト君については、兵役に就く代わりに、それよりやや長期のボランティアを行ったそうです。そういうオプションはあるんですね。蛇足ながら、彼の祖父がバリバリの軍人だったので、その選択については不満だったそうです。

 もっとも、期間は8ヵ月と、かなり短めです。韓国の場合、軍により多少差はあるようですが、26ヵ月もの長期に渡りますので、これは文字どおり『兵役』です。これに対し、8ヵ月というのは、兵役というよりは軍事訓練と見た方がいいでしょう。要するに、一朝事あれば、その経験を生かして、短期間に大きな兵力を招集できるという目的での準備です。
 第二次大戦では、日本に比べて徹底的に破壊されたドイツですが、東西分割されて、冷戦構造に最前線で巻き込まれざるを得なかった事情から、「子供を戦場に送るな」などという馬鹿げた感情論を口にできるほどなまぬるい状況ではなかったということでしょうね。子供を戦場に送るな、というほどあほな言い分はないわけで、その大事な子供が銃を取って同胞のために戦う機会のないまま敵兵に殺されたり、占領軍に徴兵されて、もっとも危険な前線で、侵略の片棒を担がされて憎くもない相手と殺し合わされたりする、その程度の想像力も働かないのなら、安易にそんなことを口にするべきではないのです。それを踏まえた上で、それでも甘んじて受け入れる、というのならそれもいいでしょうけどね。
 もっとも、さらに低能な、「無防備地域宣言」なんてのをぶち上げた自治体が多数あるというのだから、日本の平和ボケもまだまだ強力に健在で、「普通の国」になるには、まともな感覚を持った人たちがもっと声を大きくせざるを得ないのかな、とは思いますね。

 「無防備地区宣言」に関しては、あまりにもあほらしいので、ここでは説明する気力もありません。御存知なかった方は、検索してみて下さい。

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コメント

また長くなってごめんなさい

お邪魔します。
私自身は学生時代にヤクザのちんぴらのような不良グループから目の敵にされて不当な暴力や侮辱を受けていたために、不当な暴力やマナーを守らない輩に対しては異常なほど過敏に反応する非常に攻撃的な人間です。ですが、同時に基本は非武装を理想とし、むやみな武器所有は絶対に許すべきではないと思います。
ただ、当時は親に心配をかけたくない一心で最後まで無抵抗を貫きましたが、何度彼らに対して殺意を覚えたか数えきれません。

残念ながら現実を見、歴史を要らない所まで知ってしまっているために、威嚇のための武器やそれに替わる対外威圧の手段を持つしかないことも理解しています。
韓国などの国防のための兵役義務は考え方として間違っているとは言えませんし、自衛隊がその名の通り自衛の役目のみを担っている間は画期的で素晴らしいシステムだと思うのです。
このハイテク武装の時代に先制攻撃を絶対にしないという考え方は、私が唯一尊敬する政治家、ガンジー師に通じる勇気あることだと思うからです。

しかし問題は、組織は必ず腐るということです。若々しい創業期は偉大で革新的な企業も、大きく組織化すると必ず内部から腐り始めて内外に害をなすのです。
企業が与える悪影響は経済のみですが、軍隊は違います。兵士個々は崇高な精神で臨んでも、上層部は役人化して必ず軍需産業と手を結んで国を守るべき筈がやがて国を滅ぼすのです。残念ながらこれが歴史の必然です。
今のアメリカは軍のために国を運営し、軍に仕事を与えるために常に適当な敵を求めているのが現状ではないでしょうか。

私には愛する息子が二人います。もう逢うことができないのですが、彼らが直接生命の危険にさらされる場合は迷わず仇なす相手を殺せと言うでしょう。でも国が決めた敵だからと武器を取って殺しに行く考え方には絶対賛成できません。

無防備地区という考え方が“無防備だから攻撃するな”という甘い考えの平和ボケではなく、ガンジー師のように何があっても武器を取らず不当な暴力に抵抗する究極の勇気ある平和祈念運動だと思いたいのです。

平和は各人の心から

よろづ屋TOMさん

誠実な御意見、ありがとうございます。
私も、非常によく、言われることは理解できます。
反戦運動家たちが、TOMさんのような正しい理想を持ち、理性的かつバランス感覚のある人間ばかりであれば、もっと違った世界、日本になっていたと思います。

ガンジーの素晴らしさは、筆舌につくしがたいものがあります。映画「ガンジー」はいい映画ですが、監督・脚本家の精神性の限界でしょう、ガンジーの本質は到底捉え切れていないと思います。
現実的には、ガンジーの真意が後継者たちに汲み取られることなく、インドはいまだに混乱しています。それは悲しい現実ですが、だからといってガンジーの非暴力主義の輝き、あるべき規範としての永遠性は損なわれるものではありません。

結局のところ、戦争を生み出しているのは、制度でも国境でもなく、一人一人の心の中の闘争だと思います。闘争による平和、は私は完全な欺瞞、自己矛盾だと思いますが、それ以前の問題として、家庭すら調和できない人に、世界平和を論じする資格はあるのかということです。まず足元を見る。夫婦の、親子のいさかいの気持ち、エネルギーが、つもりつもって戦争のエネルギーにつながっていないと断言できる人がいるでしょうか。

現実問題として、国家間の価値観、道徳観は、個人間のそれよりはるかに低く、弱肉強食です。加えて、国民的怨嗟や、国家的野望も存在します。TOMさんの言われる、腐敗や、企業の利害といった問題もあるでしょう。
まず国家としては、国民が不安を抱かないですむだけの努力をすることが、必須であるのが悲しい現実です。理想と現実の乖離は大き過ぎる。
理想的平和論が、あまりに幅を効かせている平和ボケ日本だけに、どんなに正しくても、白痴勢力に口実を与えるような理屈は口にできないと感じているのが、私の正直な心境です。

ていねいにお応え下さってありがとうございます。

家庭すら調和できずに世界平和を論じるな…という所は私にはあまりにも耳が痛いですが、私が言わんとするのは、近代国家の戦争が個人の怨恨の延長とは関係ないところにあるという事なのです。
百歩譲って「オレはあいつが嫌いだからぶっ殺せ」ならまだ理解できますが、エセ正義をふりかざして国民を、世界を戦争に巻き込む指導者なんて地獄に何度詣でても許されないのではありませんか。

たしかに宗教が絡んだ場合や、水利や土地の所有権など利害が絡めば恨みも発生してくるでしょうけども、それは国家の「戦争」ではなく紛争・闘争であって、個人的な恨みもましてや会ったこともない人を政府が“殺せ”そして“そのために死んでもしったこっちゃないけどな”と命じるのが「戦争」ではないでしょうか。

異国間での摩擦を開戦の口実にすることはあったとしても、夫婦や親子の諍いは所詮私闘にすぎません。
最大限に拡大してもせいぜい戦国時代、地方紛争のレベルです。巻き込まれた農民も徴兵され戦闘を強制されても、戦場のどさくさで逃げだせば戦はなりたたずに終わりです。
国家レベルの戦争では逃れることなどできません。逃亡すなわち国家反逆罪です。人殺しをしなかった罪で殺されるのです。馬鹿な話です。
それこそ戦争が個人のいさかいエネルギーの延長だなんて便利な口実、政府の軍国化推進者が聴いたら責任転嫁できると歓喜しますよ。

いわば税率やら次の総理大臣みたいに自分のまったく預かり知らないところで開戦を勝手に決められ「さあ殺しに行け」といわれるシステムに反論を唱える考え方が平和論になるとは私は思えません。なんで役所ごときに命じられて殺し殺されに行く必要があるんでしょうか。

そもそも社会人経験者なら、無能な指揮官の下での行動がいかに命取りかを身に染みて知っています。まして私は役所のコマではないから御免被ります。
だから万一、どうせ戦うことになったとして、すくなくとも私は今のアホ政治屋たちの指揮で生命をさらすくらいなら個人的なゲリラになって戦争を起こした連中を始末する道を選びます。もちろん軍隊など御免被ります。自国民を死なせる国家など存在自体が無意味ですから。

非科学的かも

TOMさんの言われること、よくわかります。
ただ、どんなによい制度を持ってきても、運用するのは人間で、野心と邪心に満ちた人はちまたにあふれていますから、そのアプローチではほんとうの世界平和は無理だというのが私の主旨です。その意味では、自分を高みにおくつもりはなく自分も含めてですが、現代人は自分中心で傲慢で頑固なので、民主主義では世の中はよくならないと思います。もちろん共産主義よりははるかにましで、よりよい制度が見つけられていないのは事実ですが。

TOMさんとは論点が違うと思います。個人レベルの不調和が戦争につながる、というのは、私は物理的な、あるいは科学的な論理説明で証明可能なレベルでの話ではないんです。ですが、事実だと思っています。
でも、かみあわないのは当然ですよね。私の言っているのは人心乱れて地震や噴火、旱魃などの天災が起こる、という(現代科学では)非科学的なアプローチですから。

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