にゃごにゃ小学校

本家(HP)作製のネタ、あるいは記事にするには寸足らずな話を日記兼用でアップします。

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汐入
 14日(日)は横須賀で1日を過ごし、汐入のホテルに一泊した。

 横須賀中央には十四、五年前に仕事で2週間ほど滞在したことがある。ただし、早朝に起きて電車に乗り、深夜に帰ってくるという繰り返しだったので、駅周辺と構内の様子くらいしかわからなかった。
 その前となると、二十二、三年前まで遡る。ほんとうにひさしぶりの「第二の故郷」である。

 今回は、妻を伴っての完全な休暇の旅。車で来たので機動力を発揮して、観音崎公園や母校を訪れた。そしてJR横須賀から横須賀中央を中心とした市街地を、こちらは徒歩でつぶさに見て回った。
 観音崎公園は相変わらず緑深い、静かないい公園だった。また、手のつけようがないから当然かも知れないが(^^;;)、入り組んだ坂道の多い浦賀駅周辺も、それほど変わっていない。横須賀中央も、平坂から上の地域や、その裏側の道などは、ほとんど変わっていない。
 しかし、横須賀中央と、特に汐入周辺は、激変していた。

 横須賀中央の駅前は、三叉路交差点から三方に道が延びるだけのシンプルな地形なのに、視界を塞ぐ近代的な歩道橋と、それを取り囲む背の高いビル群で、車で通りかかった一瞬、自分がどこを走っているのか混乱してしまったほど、様変りしていた。ある意味、非常にスマートになり、あの横須賀独特の雑多なムードがすっかり消え去っていた。
 もっとも、この界隈の独特の雑多なムード、というのは、一地方都市のそれであり、その意味では他の同様な地域と同じく、再開発され近代化されたにすぎないと言ってもいいかも知れない。

 それ以上に衝撃的に変わっていたのが、汐入周辺である。
 米海軍基地の正門がど~んと控え、どぶ板通りという名にふさわしいやや薄汚れた小路、いかにもアジア駐留の米軍基地周辺という雰囲気の英語の看板を掲げた雑多でバタ臭い店。よくも悪くも米軍の支配地域の色が濃かった。
 それが、いきなり目の前に飛び込んで来た横須賀プリンスホテルの、背が高いスマートな姿に幻惑されたかと思うと、駅周辺に視界を遮るように建ち並ぶ巨大なショッピングセンターがたちはだかり、再び自分の今いるのは一体どこだったのかというめまいに似た感覚に襲われる。
 米軍基地のゲートは、これら巨大な建物に取り囲まれ、よほど注意しないと素通りしてしまうほど目立たなくなっている。港に面した公園を歩くと、かつてはその独特のシルエットを浮かべて見せた日米の軍用艦船群も、なぜかほとんど姿が見えない。
 さすがにそこかしこに見かける米兵の数は多いが、かつてに比較して彼らもずいぶんとファッショナブルないでたちで、こちらもひどくこぎれいになってしまったどぶ板通りを歩く彼らの姿は、束の間の休暇を楽しむ兵隊たちというより、アメリカや日本の都会でストリートウォーキングを楽しむふつうの若者としか見えない。

 私はひさしぶりの横須賀の姿を見たいのと同時に、神戸などの風景に親しんだ私達にとってすら、なんともいえない異国情緒を味わえる不思議で小さな街を、妻に見せたいと期待してきた。
 たしかに港があり、多くのアメリカ人、それも意外に他の地域では見かけることの少ない黒人たちが数多く闊歩する通りは、独特の雰囲気を醸し出してはいる。しかし、かつてのような、近代化する他の地域から取り残され、少し薄汚れ、そしてちょっと危険な、そのかわりとても魅力的で底知れないムードの漂う地域は、すっかり消え去り、首都圏周辺によくみかける、こざっぱりと清潔で集積度の高いありふれた地方都市が、そこにあった。

 今でも大好きな横須賀、でも、私の知っている横須賀からは、予想以上に、それも凡庸な方向に、変貌していた。
 私は新しいものが好きな方で、愛する神戸の街がどんどん近代化していくのを見るのが嫌いではない人間だが、昔からの港神戸にすむ人達が、あまり変わってほしくない、という気持ちが、初めてよくわかったような気がした。

つづく…

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