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にゃごにゃ小学校

本家(HP)作製のネタ、あるいは記事にするには寸足らずな話を日記兼用でアップします。

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 マンションの臨時総会が終了した。昨年秋の台風23号による被害補修について、これで具体的に開始できるところまで漕ぎ着けた。内容が内容だけに、住民たちにとっては気の重い、煩わしさが先に立つことがらなので、正直ほっとしている。巡り合わせとは言え、たまたま役員にあたった方たちは、ほんとうに大変だったと思うし、心から感謝したい。

 マンションにせよ地域にせよ、こうした会合に出席してみてしみじみ思うことは、選ぶことのままならないもの、それは隣人だ、ということだ。
 もちろん、日本では住居選択の自由があるのだから、広義では隣人選択の自由もないとはいえないが、実際問題として、ワンルーム・アパートの一人暮しならまだしも、家族や自宅を持っている者にとっては、隣人というのは能動的に選別することのできない、最たるものの一つだろう。少なくとも、職業・会社、友人、配偶者などに比較して、自分の努力や注意で可能な裁量の余地は極めて少ない。
 両親・兄弟や、子供などの血縁者についても選択はできないが、しかしこちらは縁として、あるいは血のつながりとして受け入れることはまだしも容易だ。これが隣人となると、利害関係の大きさの割に縁者という意識は非常に希薄なのが普通だから、おかしな隣人にあたると、なかなか心理的に受け入れ難いものがある。
 最後の手段として転居という方法もあるが、これとて一つの賭けであり、せっかく大変な労力と出費をしても、「知らない悪魔より知っている悪魔」の方がましだった、という結果にならない保証はどこにもない。

 民主主義とは、みんなで責任を持ち合い助け合い、また相手を尊重していくのが最低の成立要件だと思うのだが、今の日本社会はそうはなっていない。単にみんなが「王様」になっているだけだ。少なくともそう勘違いしている人たちが、一定の比率を占めている。
 そうした人たちが、『隣人』として身近にいると、その被害は大変なものだ。100人の自治会に、ほんの一人か二人、そうした人が混じっているだけでも、残りの大多数を徹底的に煩わせることができてしまう。それが四、五人も含まれていれば、もう絶望的。ごくごく常識的に考えるだけでまとまることも、一切まとまらず、混乱と怒りと徒労だけが増殖していく。

 その意味では、所帯が小さいとはいえ、私のマンションの自治会は、みな良識的だ。偶然かも知れないが、これは本当にありがたいと思う。このこと自体、十分感謝に値することなのである。
 一定の、そうした敢えて争いを好む、あるいは公共性を無視して自己主張を平気で最優先させるようなタイプの人が含まれるのは、人間社会だから仕方ないが、そうした人たちを量産するような今の誤った思想の民主主義は、いい加減に見直していかなければならないのでは、と思うのだ。もちろん、自戒を込めて。
 そうでないと、「みんなで幸せになる」のではなく、「みんなで不幸になる」社会となるだけだ。

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