にゃごにゃ小学校

本家(HP)作製のネタ、あるいは記事にするには寸足らずな話を日記兼用でアップします。

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 ATOK for Linuxが発売になるようですね。

 妻がときどき日本語入力環境に不満を言うので、買ってもいいんだけど、対応ディストリビューションが、



    ・Red Hat Linux 9
    ・Red Hat Professional Workstation
    ・Red Hat Enterprise Linux WS, version 3
    ・Turbolinux 10 Desktop (Update Kit 2)
    ・Turbolinux 10 F... (Update Kit 2)
    ・ターボリナックス ホーム


なんだって。Fedora Core 2, 3がない。

 Fedoraだとunicode(ja_JP.UTF-8)に対応しなければならないからきついのかなあ。
 うちはシステムの日本語コードをEUCにして使っているから、動くかも知れないけど、でも動かないと困るし、いくらキャンペーンされても、それが確認できるまでは買えないなあ。

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 たまたま三日ほど前に首都高と二輪車に関するこんな記事を書いたのですが、今日、二人乗り解禁のニュースが出ていましたね。



 ここでは、『路肩が狭く交通量が多い首都高速道路などでは、2人乗りの禁止を求める意見も出ており、東京都公安委員会などが検討を続けている。』と書かれています。
 やっぱり首都高はバイクが嫌いなんだ、ということでした。
 二人乗りできれば700円というバカ高い通行料も少しは値打ちが出てくるし、四輪で走らなければならなかった人でも二輪に切替えることができるようになって、高速と地道両方の交通緩和になるかも、という発想のできる人はいないんでしょうかね。

 私は走ることないから別に関係ないけど、首都圏のライダーに同情します…。


箕面2



 先週末、27日の土曜日に、箕面(みのお)公園に行ってきた。関西では有名な紅葉のスポットだ。

 箕面の道路はドライブがてら、場合によっては抜け道として、自家用車で走行することがあるが、箕面公園を歩き回るのは、十数年ぶりである。
 11月も末だと、例年ならそろそろ終わりかな、という時期だが、今年は気候は全般に遅れ気味、箕面もまだまだ紅葉真っ盛りだった。
 猛暑だったせいもあり、紅葉(もみじ)を中心にした、その燃えるような赤・オレンジ・黄色・黄緑の葉は、実に鮮やかだった。

 阪急箕面駅から箕面の滝までは、3キロ弱。道は、滝の下までベビーカーや車椅子でいくことのできる、舗装され、高低が少なく、段差もない歩きやすい歩行者専用道となっている。
 シーズンまっただ中の名所なので、さすがに人出はすごかったが、歩行に難を感じるほどではない。意外に高い山々、深い谷を伴う清流沿いの道、美しい木々、そしてところどころにある古風で風情のある茶店のおかげで、まったく退屈することなく滝までたどり着ける。概ね平坦な道を往復6キロ弱というのは、大抵の人に取って手頃な散策距離といえると思う。

 箕面といえば紅葉のてんぷら。もみじにころもをつけてあげたものだが、なかなかおいしい。てんぷらといいながら、カラッと硬く揚がり、瓦せんべいのような感じ。妻は前からこれが楽しみでしょうがなかったようで、違う二つの店のてんぷらを買って食べていた。
 ちみなに、箕面の紅葉の葉は、食べられないそうで、紅葉のてんぷらの葉っぱは、カナダからの輸入らしい。別に箕面原産でなくても、とりあえずもみじと名がつけばなんでもいいのだろう、その証拠に、紅葉のてんぷらこそ箕面オリジナルだが、縁もゆかりもない広島名産もみじまんじゅうもそこかしこの店で売っている。

 お決まりのコースを往復してもいいが、実は少し道を外れると、びっくりするくらい雄大だったり秘境のようだったり美しかったりする景色に出会えるのも箕面の特徴だ。
 例えば、メインの道は川の西側に沿って作られているが、その反対側にも道がある。「風呂谷」と書かれた標識の方向に向かう道などもそのひとつだ。これらは、未舗装で少し濡れていたり、高低がけっこうあったり、階段になっていたりする。メインに比べるとハードだ。
 しかし、通常の森林公園などの道と比べても、とりたてて厳しいわけではない。人通りは格段に少なくなり、見える景色の趣はまったく違って来る。また、河原に比較的簡単に下りられる場所もある。巨岩があったりして、変化にも富んでいる。
 さらに、昆虫館と瀧安寺の間あたりにあるもみじ橋を渡り、望海丘展望台などの方に足を延ばすこともできる。この展望台への坂と階段は半端ではなく、それなりの覚悟がいる。「展望台がある」なんて感じで登り始めて、えらいめにあってるカップルを何組か見た。

 そして、その先のビジターセンター方面への林道を進めば、これはもう観光地というより立派なハイキングコースとなる。明治の森・箕面国定公園である。方向によっては、池田の五月山方面に出ることもできる。
 私達は、林道の途中で持参したおにぎり、パン、お茶、ビールなどを食べてから、さらに歩を進め、自動車道へ出た。

 この時期、箕面の滝にほど近い無料駐車場は、ものすごく混み合う。また、道も大渋滞する。
 そのことはよく知られており、滝を訪れる人達は、電車と徒歩の人の方が圧倒的に多いが、これは賢明なことである。
 ただし、自動車で見る紅葉の山は、徒歩とはまったく違った雄大な山腹を見せてくれる。お定まりのコースを歩いただけでは決してみられない光景だ。徒歩での箕面は十数年ぶりの私たちだが、この車道は何度か紅葉のシーズンには知り抜けたことがある。
 今回は、その絶景を、徒歩でゆっくりと、時にデジカメで撮影しながら堪能した。車では味わえない、じっくりとしたもみじ狩りである。
 実のところ、この車道は一応路肩はあるが歩道がなく、見通しの悪いカーブも多いので普段は徒歩は危険だ。だが、紅葉のシーズン、土日や祝日は、一方通行になるし、どの車も景色を見ながらゆっくり走るので、位置の取り方に気を付けて端を歩けばまず問題ない。

 ところで、今回意外だったことが一つ。名物の猿がまったく見えなかったことである。
 箕面の猿といえば、観光客の食べ物を狙ったりするので、手回り品に気を付けなればならないといった話で有名である。特にコンビニの白い袋は要注意といわれている。大阪に多いひったくりは、この猿の生まれ変わりかも知れない。
 歩行者専用道の範囲でどの程度猿が出没するのかはよくわからないが、車道については、いつも多くの猿がたむろしているまさにその中心を通り抜けて来た。ところが、今回は、とうとうただの一匹もみかけることがなかった。観光客にエサなどをやらないよう指導しているという話を聞いたことがあるが、その成果だろうか。

 ともあれ、電車で行ってもわが家から40分たらず。わざわざ京都の名所に行かなくても、たっぷりと紅葉を堪能できることがわかった。来年もまた、ぜひ行きたい。



箕面1

 よほど切りがいい場合をのぞき、通勤定期は3ヵ月定期で、継続購入している。
 多くの企業は、会社で定期を購入して支給しているようだが、私の会社では通勤手当として1ヵ月分の通勤区間の定期代を給与とともに現金支給するので、何ヶ月定期を買おうと、また回数券やスルッとKANSAI、ICOCA、PiTaPaなどのカードを使おうと、各自の勝手である。

 私の場合、1ヵ月定期でないのは、
  ・毎月買うのはめんどくさい。
  ・3ヵ月定期の方が割安
という理由である。ではなぜもっと割引率の高い6ヵ月定期でないかというと、
  ・6ヵ月も使うと痛みがひどくなることがある。
  ・長期間、通勤先が変更になる場合があり、切替えに不利。
  ・残り期間が長すぎると、紛失した場合のダメージが大きい。
などの理由である。
 まあまあ3ヵ月程度が私には感覚的に、使いやすいという主観的な理由といえる。

 さて、ところで、定期というのは実際、どの程度得なのだろう。
 大阪の地下鉄の定期(回数券も)が全然割安でないのは有名だが、私の利用路線は阪急なので、まずまず一般的な割引率ではないかと推測される。そこで、阪急のある区間について試算してみることにする。

 学割の使える学生の場合や、1日に一往復以上利用したり途中下車をしたりする場合などは、かなり得だというのはまちがいない。これはもう、定期でマルだろう。
 ここでは、完全週休二日で、休日出勤がなく、区間を一日一往復するだけという最短回数で考えてみる。
 誤差を少なくするために、区間の長い京都線で、終点の河原町と梅田の区間(47.7km)で見てみる。普通運賃、1ヵ月定期、3ヵ月定期、6ヵ月定期の価格と、それぞれが何往復相当の料金であるか、一覧表にしたのが下記である。

乗車券通常(片道)1ヵ月定期3ヵ月定期6ヵ月定期
料金定期1ヵ月換算390円15,070円(15,070円)42,950円(14,317円)81,380円(13,563円)
相当往復回数(月換算)0.5回19.32回(19.32回)55.06回(18.35回)104.33回(17.39回)
1日換算料金(30日月で計算)780円502.3円477.2円452.1円


 表の意味を補足すると、相当往復回数というのは、その定期を買うのに、通常料金で何往復分の値段が必要かを示すもので、これは小さいほど得だということになる。
 定期の料金は期間が異なるので、1ヵ月換算の数値も示した。
 また、1日換算料金というのは、休日も含めた、一ヶ月分の全日数(ここでは30日としている)で割ったとき、一日あたりいくらになるのかという金額。これは、例えば定期が金曜日で切れる場合、土日を飛ばして次の定期を月曜日開始で買ったら、いくら得になるか、という計算の参考になる。1ヵ月定期なら502.3円×2日で1,004.6円ということである。

 ざっとみて、一ヶ月定期なら19.32往復分の値段。11月は、30日しかなく、祝日が3日と23日の2回あったから、週休二日の会社の人の出社日数はちょうど20日。かろうじて定期の方が有利だが、もし飛び石連休だからと22日に休暇を取ったとか、風邪をひいて休んだ日があったとかいうことがあれば、通常の乗車券を買った方が得だということになる。
 また、割引のない「スルッとKANSAI」(プリペイドカード)は別にして、回数券というオプションもある。これだと、5往復の料金で5.5往復できる。20日の出社に必要な回数券は、回数券を3.64回を買った料金(そんな中途半端な買い方は出来ないが、複数月にわたれば可能)と同じで、これは14,181円。
 なんと1ヵ月定期、さらには3ヵ月定期とも逆転してしまう。6ヵ月定期の料金にしても、一日でも休暇を追加していれば逆転だ。なにしろ、回数券は、使わなければその分、手元に残って再利用できるのだ。

 こうしてみると、使い方によっては、多くの人が考えているほど、定期はお得ではないことがわかる。
 次回は、後編として、ちょっと多めに休暇を取る場合の具体例を見てみる。

つづく…

首都高


 ETCの全国平均利用率は、十月で22%に達したそうです。ETC搭載率と利用率はイコールではなくて、利用率の高い人が搭載している率が高いのは当然と思われますから、普及率はもう少し低いかも知れません。

 ところで、先日の東京出張で首都高速の某入口をみかけましたが、二つある入口のどちらもETC/一般兼用でした。阪神高速では、二つあれば一つはETC専用なんですが、東京では「ETC優遇だ」という非難の声が高いのでしょうか。せっかく高い金を払ってETCをつけたのに、一般車と同じように待たされる、という苦情が逆に出そうな気もしますが。それとも、この入口が特別なのか?

 それにしてもよくわからないのが、掲げられている標語。『二輪車のスリルと命は紙一重』って…。なにを訴えたいのか、ライダーもしくはドライバーにどうしてほしいのか、さっぱり理解できませんでした。だいたい、スリルと命が紙一重って、日本語変ですよね。命でなく落命ならまだ意味が通りますが。
 まあ実際に利用した経験からいえば、首都高速がバイクにとってもっとも危険で走りにくい高速道路であることだけは事実ですね。路線にもよりますが、概して極端に幅が狭くて、バイクがふつうにすり抜けるだけの路肩の幅がほとんどない。路肩という概念がないのかというくらいです。そんなだから、渋滞箇所では乗用車とおんなじくらいつかまってしまい、二輪ゆえの機動力が発揮しにくい。そのうえに路肩は傷みがひどくてかなりがたがたしてます。
 そう考えると、「二輪車は首都高を使うな」、少なくとも、「招かざる客だ」という遠回しな拒絶のようにも見えてくる標語です。
 ちなみに、二輪はまだETCが使えませんでしたね。二輪車が料金所を通るときのめんどうくささは四輪車の比ではないので、ほんとうならまっさきにつけたいところだ、というライダーは多いと思うのですが。

 今日は話が発散してしまいました。

海軍カレー


 こちらも読んでください。

 翌日の横須賀は、強い雨と強風に見舞われた。母校での開校祭では、曇天ではあったものの、降雨はなく、なんとか天気が持ってよかった。昨日がこの天気だったら悲惨だったろう。

 天気がよければもうすこし街をぶらついてもよかったのだが、この天気ではどうしようもない。かねてからの予定通り、「海軍さんのカレー」の購入と、「三笠記念公園」での戦艦三笠見学の二つを果たすことにする。
 カレーの方は、実のところ横須賀中で買えるのだが、せっかくだから本店の調味商事にいくことにした。ここは、実は三笠公園の目と鼻の先である。本店にいったからといって値引きしてもらえるわけでもないが、海軍さんのカレー以外の製品もいくつかおいてあったのと、店がまえがユニークなので、一見の価値はあった。

 戦艦三笠は、わざわざ入ったものかどうか、迷った。艦自体は外からタダでみられるからだ。が、この機会を逃すとまた次はあるかどうかわからないし、一応屋内となるので雨でも大丈夫だろうと見学することにした。実際、横須賀に4年間いたが、そのうちいけるだろう、で結局今までいったことがなかったのだ。
 結論は、いってよかった。中があんなに広くて、しかもあんなに多くの展示物があるとは思っていなかったし、何より実際に多くの日本人が国の存亡をかけて戦った、その現場に足を踏み入れることは、感慨深いものであったからだ。

 屋内は確かに雨は関係なかったが、甲板は吹き付ける風雨で、かなりきつかった。特に、急な梯子のようなタラップで、見張りや通信(探照灯)を行う上部甲板にのぼるのは、滑りやすい上に飛ばされそうで、非常に怖かった。
 傘をささなければましなのだろうが、しかし激しく揺れる海上で、しかも風ももっと強いときはざらだろうから、海の男の生活は大変なんだと改めて感じた。

 雨のせいで体がかなり冷えた。公園前の喫茶店でコーヒーを飲んで一服し、いよいよ横須賀とはお別れ。昼すぎに次の目的地、横浜に向かった。

…つづく

ヨコハマたそがれ


 気分を変えて、夜景などひとつ…。
 撮影場所は外人墓地ぞいの歩道。撮影はH16.11/15です。

 わが家の飼い猫(メス)は、エサ入れの中身がすこし少なくなると、すぐ妻にしつこくクレームをつける。「まだたくさんあるじゃないの」と妻が言っても聞かない。激しく責める口調で、何度も何度も催促を続ける。根負けした妻が、継ぎ足したフードで皿を満たすと、満足したように台所を後にする。別に、新しく入れたからといって、それを口にするわけでもない。
 動物は倉を作らない、というが、なんの、このネコはしっかり先の分まで確保しないと安心しないのである。

 ごく最近、しかし、彼女(ねこ)が正しいことが証明された。いつものように、『ええ加減、少ないやんかぁ』というクレームに、妻がエサを与えようとして、キャットフードを取り出してみたところ、もう残りがなかったのである。
 真夜中のことであり、コンビニにでも行き、高いフードを買わなければ入手は不可能。もし彼女(ねこ)が前倒しに要求する習慣がなければ、少なくとも一夜の間、飢える羽目になるところであった。とりあえず、今皿の中にある分は食べられる。
 ねこのくせに、ちゃんと飼い主たる人間の資質を見抜いているらしい。

 ところで、幸か不幸か、前に試しに買って、口に合わなかった安物のフード(こういうのをわが家では『モーニングキャット』と呼ぶ)が、大量に余っていた。さしあたって補充してやるエサがないことに焦った妻は、よせばいいのにそのまずいフードを、まともなフードの上に注いだ。『こんなもん食えるか』とすぐ彼女(ねこ)は声を大にして反応したが、後の祭り。1日食わなくても死にはしない、と妻はそのまま床についた。

 その後、彼女(ねこ)がどういう心境にあったかは定かではない。1日我慢すればまたまともなフードにありつけるのだが、その辛抱が出来なかったのか、あるいは食わないはずのフードが出てきたことで、ただならぬことが起こったという危機感を抱いたのか。
 彼女(ねこ)は、夜の間に、そのまずいフードを食べたのである。それも大量に。そして…。そこかしこに吐いていた。
 吐くくらいまずいのなら食わなきゃいいのに、と思うのだが、ともかく彼女(ねこ)は食べ、そして気分が悪くなって吐いた。

 いや、妻の性格を見抜いてフードを前倒しに要求するくらいのネコだから、あるいはこのままこのフードを食べさせられてはたまらん、と、見事なパフォーマンスを演じたのかも知れない。
 それから半日、彼女(ねこ)は今、食べ慣れたおいしいフードで腹を満たし、ぬくぬくとファンヒーターの前で長くなっているのである。

 最後のゴジラは大変なもてはやされようだが、ここ数年、良質な劇場版を公開し続けて来たウルトラマンのシリーズも、ほぼ同時期に、非常に興味深い作品を公開するようだ(ゴジラは12/4、ウルトラマンは12/18の公開)。ULTRAMAN THE MOVIEである。
 しかしこちらは、ほとんど話題にのぼることがなく、私もごく最近までその存在を知らなかった。もっとも、私はもともと、他のウルトラマンも観ていないのだから、べつに珍しい事態ではないが。

 しかし、この作品には、かなり興味を惹かれている。
 まず、設定が、テレビシリーズも含めた過去のどの作品とも異なる、現実的なものとなっている。
 ウルトラマンといえば、科学特捜隊やウルトラ警備隊といった特殊防衛隊と切り離せない。が、今回は自衛隊や米軍などといった現実の組織以外は出てこない。ごく初期のゴジラや、平成ガメラシリーズのようなリアリティ路線である。そもそも、防衛庁が本格的に協力したウルトラマンなどというものがこれまで考えられただろうか。
 ストーリーが、あの初代ウルトラマンの第一話に相当する、という設定も、ウルトラファミリーの所帯の大きさからわかるようにひたすら派生を続けて来たシリーズの中で、初めてのことといえるのではないだろうか(実のところ、私は初代ウルトラマンとウルトラセブン、それにそれ以前のウルトラQ以外はあまりしらない…)。
 キャラクターの設定も、極めてシリアスだ。怪獣も、ウルトラマンも、実在していて違和感のない地球人であり、彼らの意志とは無関係に合体させられてしまう。

 もう一つ、特筆に値するのが、10mというウルトラマンの大きさの設定だ。
 もともと50mとか80mというサイズの物体が活動するというのは非常に映像化がむずかしく、大魔神の例を見てもわかるように10m内外だとリアルな特撮映像を作りやすい。
 現在のようにSFXの技術が進歩してくると、この10mという設定では、非常に迫力とリアリティのあるカットが作りやすくなるのではないかと感じられる。

 本来、リアリティを持ってよみがえって然るべき1984年ゴジラに、いきなりスーパーXなる秘密兵器が登場して大いに白けさせられたのはこちらの記事に書いた通りだが、こうした兵器や科学特捜隊が出てもまったく違和感を感じないファンタジー路線のウルトラマンにこうした作品が登場し、最後のゴジラと銘打った作品に怪獣が総進撃するというさかさまぶりは皮肉ではある。
 ともあれ、私は東宝やエメリッヒの作るゴジラをとうに見限ったのに対して、今回のウルトラマンには、期待どおりでないまでも何か新しい興奮や夢を与えてくれるものになるのではないかという期待を抱いている。

 残念ながら、わが家御用達のワーナーマイカルでは上映しないようだが、少々足を延ばしてでも観に行きたいと考えている。

リフレッシュ休暇(一週間)を取ったので、長~い週末(?)だった。

やり残したこと

 1.カレンダーシールの画像加工
 2.OpenOfficeによる年賀状宛先印刷セットアップ

 ちなみに、わざわざキャン・ドゥまで出かけて折り畳み傘を買う。小さいし軽いし、まずまず使えそう。
 同じ100円ショップでも、こうした折り畳み傘やちゃんとしたジャンプ傘もあるキャン・ドゥに比べ、ダイソーではまったくろくな傘がない。安物のビニール傘レベルのみ。まあたった100円でこんな傘を売ってることの方がすごすぎるのだが…。

 前のちゃんとした折り畳み傘は、妻がちゃんと車のトランクに傘を入れてなかったため、強風吹き荒れる三笠公園で使わざるを得なくなり、あえなく骨折(金属骨が折れた)。

 妻は、月齢カレンダーを始め、ダイソーでは買えないものを一時間近くもかかって1800円分も購入。大いに喜ぶ。

 (以下の記事は、あくまで私的な感想です。この映画を気に入っている方にはおわびします。)

 公開初日の夜、「ハウルの動く城」を見てきた。翌日の今日になってざっとブログ等の評価を見たが、概して評価が良い。冗談ではない、といいたい。
 ハウルに関する記事なんて、それこそゴマンとあるだろうし、わざわざブログで書くつもりなど毛頭なかったが、気が変わった。金を払った者の権利を行使して、感じたままを書かせてもらう。

 まず、よかった点から。
 ピカいちなのは、ハウルの弟子の男の子、マルクル。小学校5年生の声優、神木隆之助の異常な才能もあり、ものすごくいいキャラだった。特に、魔法で化けた老人と、子供の姿のギャップがとてもよい。
 それからカルシファー。まあ、最初から愛嬌のキャラであることはわかっているが、それでもたいしたもの。
 また、木村拓哉の声優ぶり。私はファンでもアンチでもないが、非常にうまかった。声優嫌いの宮崎駿が採用するだけのことはあるといえる。全般に、イノセンスに匹敵する声優陣のクオリティの高さといえる。
 あと、映像はさすがに見事。美しい。迫力がある。リアルだ。

 さて、一方、不満は山ほどある。
 まずストーリー。ひとことでいって「混乱」以外の何モノでもない。まったく芯がない。一貫性もなければ説得力もない。キャラも立っていない。共感を覚える要素がない。深みがない。とにかくいくらでも悪口が出てくるくらいひどい。
 最初の30分くらい、ひたすら退屈であることに同感する人は多いと思う。そのあと、おっ、と期待させる部分は時々出てくるが、それきりかすりもしないでしぼんでしまう。
 夢オチのシーンも出てくるが、そもそも前提の「現実」がさっぱり輝いていないしリアリティもないうえ、その夢に神秘的な部分も現実とみまごう迫力もないから、単に話を紛らわしくする効果しかない。

 ハウルが興味を持ちながら怖れをなした「荒地の魔女」のショボさは何だ!?ヒロイン、ソフィーの性格のあいまいさは何なのだ!!王宮の実権を握る魔法使い、サリマンはどういうキャラなんだ?ものがわかったような顔をしたり、悪魔的に見せたり、支配的であったり、そして慈母のような顔をしたり。この変化は、しっかりした芯があってこそ成り立つ行為ではないのか。だいたい、「この無意味な戦争を止めさせましょう」って、それができるならさっさとしろって。これで「反戦」が含まれている映画といえるのか。
 「千と千尋」と同じ劇場で観たが、このときは、帰りの車の中で余韻醒めやらず、まだどっぷりと宮崎ワールドに浸っていた私と妻がいた。すぐにももう1度観たいと思ったし、事実その後、数回足を運んだ。
 しかし、今回はふたりとも、言葉もなかった。DVDやテレビなら、十分で切ってしまっていた内容だが、その後、まったく雪辱することなく終わってしまった。

 結論からいって、宮崎アニメ中、最低最悪の出来だ。それも、過去の最悪作品をぶっちぎりで引きはなすひどさだ。
 公開前の評価が芳しくないことは、観賞後ウェブで調べて初めて知った。当り前だ。
 宮崎駿はおかしい。傲慢を節々に感ずることは前からあったが、千と千尋では、それでもこれだけのものを作ることのできるたぐい稀な才能を有していることを証明して見せた。傲慢さも、他の多くの天才監督同様、才能の代償でやむを得ないか、と思わせる部分があった。
 しかし「ハウルの城」はどうだ。一言一言のセリフに、何年経って思い出してもしみじみと浸みてくる味のあった、彼の過去の作品の輝きはまったくない。自称「宮崎駿の申し子」のオタクたちが、その技法を真似て作ったツギハギな映画でも、もっとはるかにわくわくさせてくれるに違いないと思えるような御粗末な出来だ。

 「千と千尋の神隠し」のDVD問題の際の、スタジオ・ジブリの傲慢な態度は、やはり宮崎駿と無関係ではなかったんだな、と確信した。ジブリを非難してもだれも宮崎駿を非難しなかったその事件だが、やはりしっかりと結び付いていたんだとよくわかった。
 宮崎駿は、傲慢さゆえに、その才能を枯渇させた。すべて自分の力だと過信し、天の助力を失った。なにより顕著なのは、「ハウル」のパンフレットだ。監督の言葉がどこにも出てこない。さぞかし、パンフの編集者は苦労したに違いなく、それゆえ、全体の何割かが縁もゆかりもない第三者の感想文で埋められるという異常な事態になっている。この事実こそ、宮崎駿自身が、救いようのない駄作になってしまったことを認めているようなものだ。
 それにしたって、劇場にお金を払って足を運び、しかもパンフレットを買ってくれる観客に対して、あまりにも失礼というものだろう。
 スタジオ・ジブリは、きっと、骨がらみだめになってしまった。トップがダメなら衰退は早い。ジブリアニメの終焉が目の前であることを象徴することになった作品である。

 まだまだいくらでも批判できるが、もううんざり。ハウルは、何十本に一本、出会うくらいの駄作である。それでも好きな人は観ればいい。私はもう、2度と観ない。それでも、過去の宮崎作品は愛している。




コメント



もう信じられません (かおる)
2004-12-15 23:32:27


今日観てきました。
愚作と言わざるを得ない出来にびっくりしました。怒りすらおぼえます。「原作者に誤れ」と叫びたいくらい、ジブリ不信になりました。
ちなみに原作の方はとてもおもしろい作品です。ぜひ『ホンモノ』を読んで下さい。



Thanks! (にゃごにゃ)
2004-12-16 08:57:20


かおるさん、感想ありがとう。

ですよね。でも、ネットとか見ても、なんか好意的な意見が支配的で、う~ん、おれって文句いいなのかなあ、とやや不安になったりしてました。

ですが、そうですか。原作は面白いんですね。これはぜひ読んでみないと。

 こちらも読んでください。

 単になつかしいという以上に、久しぶりの第二の故郷をたずねるという気持ちで妻を伴って訪れた横須賀の街は、再開発が進み、非常にきれいになっていた。ただ、私にとっては、そしておそらく妻にとっても、期待外れという感想が支配的であった。別に横須賀が悪いというわけではない。私の思い入れとはあまりにも実情が異っていたのだ。

 しかし、勝手に抱いていた思い込みは裏切られたものの、ほとんど期待できないと思っていたものが、少しも変わらずに私たちを待ってくれていた。平坂を登りきったところにある小さな焼鳥店「野鳥」である。
 正直なところ、学生時代によく通ったこの店が、二十数年を経てまだ存在しているということ自体、非常に望み薄だと思っていた。ところが、旅行に先立ち「もしや」と思ってインターネットで検索してみると、どうやら今もあるらしいことがわかった。HPを出すような店ではないが、口コミ情報というか、記事で、すくなくとも比較的最近まで、やっているということはわかった。

 いったん汐入のホテルにチェックインして車をおいたあと、横須賀中央から平坂を歩き、店についたときはまさに開店時間の午後五時ちょうどであった。目の前で、店の提灯に灯が入った。
 開店したばかりの「野鳥」にはしかし、すでに7~8人の客が入っていた。明らかに常連のお客さんたちであった。カウンターの向こう側には、二十数年前、当時「野鳥」を始めてまだ3年ほどで非常に若々しかったマスターが、髪の毛はずいぶん白くなったものの、同じ細面の顔を見せていた。
 「野鳥」は4人がけのテーブルが二つ、カウンター席がたしか八つ、合計16人ほどで満席になる小さな店で、開店した時点ですでに半ばまで席が埋まっていたことになる。私たちは、私と妻の二人のほか、母校の開校祭にもつき合ってくれた、茅ヶ崎の親友がいっしょで、計3人。幸いにして、二つのうち入口に近い一つのテーブルが空いていた。

 ひとつ残念だったことは、夢にまで見た(?)「野鳥」のレバ刺しと煮込みが食べられなかったこと。レバ刺しはメニューにあったが、材料の関係(日曜日だからか)でできず、また煮込みはメニューから姿を消していた。しかし、焼き鳥もその他の料理も、変わらずおいしかった。関西人の私たちの口にもよく合う。
 特に印象的だったのは、自家製の漬物。関東の漬物といえば塩辛いのが定番だが、ぜんぜん辛くない。しかも、素材の味がよく生きて、漬物好きの私にはたまらないごちそうだった。

 そして、ホッピー。
 関東ではポピュラーなお酒だが、関西でこの名を知っている人は非常に稀。関東に住んだことのない関西人でこの名を知っているのは百人に一人もいないと断言できる。しかし、私にはなつかしい学生時代の味だ。
 うちの近くの阪急オアシスでも、一時期このホッピーをおいてあったことがある。私はなつかしくて買ってみたが、リキュールの選択が悪いのか、ホッピーの鮮度に問題があるのか、まったくおいしくもなつかしくもなかったのを覚えている。
 ところが、「野鳥」のホッピーは、やはり「あの」ホッピーであった。実にうまい。そしてなつかしい。生ビールや熱燗を交えながら、2杯飲んでしまった。ちなみに、「野鳥」のホッピーは濃いので、試される方は要注意だ。ふつう、ホッピーはジョッキにあらかじめ入れられているリキュールに注げば、それでホッピーの瓶が空になる。しかし、「野鳥」では、ジョッキがいっぱいになっても、かなりのホッピーが瓶に残るのである。

 妻も友も、その店をすっかり気に入ってくれた。特に妻は、料理もおいしいし、こんな落ち着く店は初めてだ、と、感激至極である。アルコールの強い梅サワーもすっかり口に合い、いい気分になったようだ。
 今でも、「次いついけるかな」と、折に触れて口にするほどだし、私もまた妻を伴っていきたいと思っている。

 ところで、宴が始まってまもなく、同席していた友人が、店を見回していたかと思うと、思わぬことを口にした。「あそこの色紙に○○○○と書いてあるよ」。えっ!?私の名前が!?。指さしてくれた方向を見れば確かに、色紙の1番上に、私の名前が書かれている。すっかり忘れていたが、そういえば、卒業前にその色紙の一隅を汚したような気がする。それにしても、二十数年を経て、たった十数枚しか貼られていない色紙の1枚に自分の名前を見付けようとは、予想だにしなかった。

 気付くとすでに午後9時、なんと四時間も気持ちのよい時間をそこで過ごしたことになる。久しぶりのマスターにも身分(?)を明かし、となりのテーブルの常連さんとも意気投合して、実に楽しい想い出となった。今朝以来、横須賀に来てから満たされなかった想いを、一気に埋めてくれるように心に浸みた酒となった。
 ちなみに、これだけ長い時間席を占領し、馬鹿喰い馬鹿飲みしたのだが、代金は三人合わせてわずか9,300円。これも信じ難く、そしてうれしいできごとだった。

 必ずしも期待した姿を見せてはくれなかった横須賀。「ふるさとは、遠きにありて想うもの、かな」とややさみしい気持ちにもなっていた私だが、横須賀に「野鳥」あり。本当に行ってよかった、そして妻を連れていってよかったと思える一夜となった。
 最後までつき合ってくれた親友にも、改めて心から感謝したい。

 うちには「比較的」新しいプログレッシブのDVDプレーヤーのほかに、初期のDVDプレーヤーがある。DVL-909という、パイオニアのレーザーディスクコンパチモデルである。
 このプレーヤーは、まだまだわが家にたくさん残っているレーザーディスクがかけられるということのほかに、強力な機能を有している。マルチリージョン対応、つまり、アメリカなど海外のリージョンコードのDVDをかけられるのである。日本向けの製品だから、初めからそうだったわけではなく、私の改造のたまものである。
 もっとも、きょうび、リージョンフリーを施したDVDなんて、簡単にフリーソフトで焼けるようだが。とはいえ、そのままソフトディスクが再生できるならそれに越したことはない。

 さて、初期の製品ゆえ、DVD-R/Wはもちろんのこと、DVD-Rもかけられない。まったくダメなときと、一応かかるが音が切れ切れ、画像はブロックノイズだらけという場合がある。これはまあ、そういうものだからしかたない、と思っていた。
 ところが、メディアの相性によって、まったく問題なくかけられる場合があることが最近わかった。
 DVDレコーダやDVD±R,R/Wドライブとの相性というのはよく取りざたされるが、プレーヤーとメディアの相性というのは、プレーヤーの対応自体に○か×しかないと思い込んでいた。しかし、そうではなかったのだ。

 あらかじめ断っておくが、おおざっぱにメーカーで書くが、すべての製品という意味ではなくたまたま私が使ったもの、と考えてほしい。
 具体的には、三菱のあるDVD-Rは×。同じく三菱のあるDVD+Rは○。TDKのDVD-Rは、ある製品は×。また、最近買ったDVD-R47SWXというTDKの-Rは○。
 『ある何々』、なんて書くのは、最初から古いプレーヤーでの再生は無理と決めてかかっていたため、製品型番を記録してこなかったのである。うかつであった。

 現在、新しい方のプレーヤーは、実家に貸出し中である。実家でDVDレコーダを買い、VHSやら8ミリやらで録ったものをそれでDVD化してほしい、ということで、現在そのレコーダがうちに来ている。その代りとして差し出している。
 しかし、このDVDレコーダ、メディアの相性はともかく、データ形式に相性があり、パソコンなどで作成したもので、通常のプレーヤーなら問題なく再生できるものも、「非対応ディスク」として再生を拒絶してしまうことがよくある。だから、古い方のプレーヤーで再生させられるものなら再生させたいという必要性があるわけだ。

 さっさと実家のDVD化をすませればいいのだが、その量は半端でない。また、DVDプレーヤーもプログレッシブでも1万円程度で買える時代、もう1台買った方が早いという考え方もあるが、それもなあ…。
 少なくともこれからは、メディアの型番と相性を記録していこうと思っている。

 たまに題名だけで開いてみると本文のないのがあるが、これって、タイトル入力してリターンすると起こってしまうんですね。初めてやってしまった(^^;;)。

 わが家はモンティ・パイソン大好き。『人生狂騒曲』(原題はTHE MEANING OF LIFE。人生の意味とは?)も、名前は知っていたので、レンタルショップにDVDで入っているのを見て借り、早速観てみた。
 結論、ものすごくおもしろくない。

 だいたい数分から長くても十数分で結論を出し、つまらないと思えば人生の節約のため観るのを止めてしまう私達夫婦だが、今回は面白くならないかと異例の1時間以上、がまんして見つづけた。そして、挫折した。
 テーマ自体は、もうモンティ・パイソンで作れば劇的に面白くならないはずはない内容と思える。
 また、実際に、非常にうがった部分も多い。例えば、カトリックにせよプロテスタントにせよ、輪廻転生は認めていないが、「生まれ変わりはあるのか」と自問したりしている。日本人なら多くの人が漠然と抱いている生まれ変わりがあるのでは、という感覚を、イギリス人も持っているのか、それとも単に他の宗教も調べてみて、トピックとして取り上げたのかは定かではないが。
 ちなみに、イエス様はちゃんと生まれ変わりのことを言われているんだよね。後の神学者や宗教家が、理解できない、ややこしい、都合が悪い、混乱を与える、などの理由で勝手に削除しただけ。この点を改竄して、人を救う宗教になると考えるところがすごいと思う。

 んで、冒頭から人語を解する人面魚が出てきたりして、わくわくはさせてくれるんだけど、さっぱりおもしろくない。なんでああなるのかなあ。
 まあまあノリとしてましだったのは、ヨークシャー(だったかな)の超子だくさんの工場労働者のあたりくらいか…。でもまあ、時間の無駄でした。

 11/13(土)深夜に兵庫県の猪名川町(阪神間北部)を出発、横須賀まで走行した。
 また、11/16(火)の夕方、横浜中華街を出発、猪名川町まで走行した。
 この間の高速道路走行とETC割引、その他について簡単に記する。黒字が地道、青字が高速道路である。

[[往路:(兵庫県・猪名川町)→(神奈川県横須賀市)]]
  猪名川町→亀岡→栗東→米原→関が原
  関が原IC→秦野中井IC【名神~東名】
  秦野中井→西湘二宮→茅ヶ崎→葉山→衣笠→観音崎公園

[[復路:(神奈川県横浜市)→(兵庫県・猪名川町)]]
  横浜中華街→平戸立体→保土ヶ谷バイパス→横浜町田
  横浜町田IC→名古屋IC【東名】
  名古屋IC→亀山IC【東名阪】
  亀山→天理東→阪奈道路→東大阪
  水走IC→木部IC【阪神高速】
  木部→猪名川町

ひどかった集中工事の渋滞

 往路は、高速に入ったのが午前1時すぎ、集中工事なるものも行われていたが、眠たいほかは(^^;;)渋滞もなく、順調だった。
 問題は復路。
 東名の横浜町田に入ったのが午後5時頃だから、ある程度の渋滞は覚悟していたが、片側一車線による長区間の工事渋滞はすさまじく、107キロポストから117キロポストまでのわずか10kmの通過にまる1時間を要したのを皮切りに、数キロから十数キロごとに同様の工事区間が続き、ひどい渋滞が発生している。
 最初の区間であれだけ渋滞していて、交通量をブロックしているのだから、それ以降はもっとスムーズでもよさそうなものだが、途中から合流する車が少なくないのか、その都度ノロノロというより完全に停車してしまい、何分も動かないような渋滞が続く。
 通行料金のバカ高い高速道路で渋滞にあうと、「金返せ」という気分になる人は多いと思うが、私もその心境にどっぷり浸った。工事渋滞に対しては、ETCもまったく無効だ。疲労感は十倍と言っても過言ではない。
 とはいえ、こちらは休暇、つまり遊び。交通量の主流であるトラックは仕事。お疲れさま、としか言いようがない。それでもやっぱり不満だぞ。

ETC夜間走行割引に気付く

 さて、なんとか浜名湖SAに到着したのは午後9時半。横浜町田ICからここまでの距離は230キロだから、普通に走れば2時間20分、ほぼ倍近くの時間を要したことになる。燃費もガタ落ちである。
 ともかく、軽く食事でもして一息いれよう、ということになった。

 ところで、ここで妻が思わぬ発見をした。備え付けのチラシを見て、11月1日から、ETCの深夜割引が実施されていることに気付いたのだ。
 ETCを取り付けた10月中旬の時点では、そのとき実施中の深夜割引は終了し、今回の旅行では適用されないはずだった。調べてみても、近いうちに別の割引が予定されている様子もない。残念だがまあ仕方ない、そう思っていた。
 ところが、もうしばらくないだろうとタカをくくってろくに調べていなかったが、早くも次の割引が始まっていたのである。
 適用は、午前0時~午前4時の間に、適用区間を走行していること。幸いなことに、往路は、意図したものではなかったが午前1時に関が原料金所から入っているので、秦野中井までの料金がこの3割引の対象となる。

 こうなれば、帰りも適用を受けない手はない。「金返せ」の要求が、はからずも満たされるのである。

 帰路は名古屋から東名阪に入る予定だったので、名古屋ICを0時以降に出た方が確実である(東名~東名阪を通しで判定してくれれば、東名阪の出口・亀山で0時を過ぎていればいいのだが、東名を出た時点で判定されるとすると、ここが0時前なら横浜町田~名古屋が適用外になる恐れがある)。
 すぐ出発すると、割引時間前に名古屋を出てしまう可能性があるので、この浜名湖SAで十分休むことにした。
 初日、早めに到着すれば仮眠を取るつもりで持ってきた寝袋と、首に巻くタイプのエア枕が、ここで役立った。1時間あまり、ぐっすり眠ることができた。

割引料金比較

 さて、この割引のおかげで、どの程度浮いたのか、まとめてみる。うちは軽自動車なので、普通車の通常料金、普通車の割引料金、軽自動車の通常料金、軽自動車の割引料金の4つで比較してある。


区間普通車普通3割引軽自動車軽3割引
関が原~秦野中井【名神・東名】7,200-5,050-5,800-4,050-
横浜町田~名古屋【東名】6,650-4,650-5,350-3,750-
名古屋~亀山【東名阪】2,050-1,450-1,650-1,150-
東大阪~川西【阪神】700-700-700-700-
合計16,600-12,050-13,500-9,650-
差額---4,550----3,850-


 軽自動車はもともと普通車の2割引き、それにさらに3割引きだと、普通車と比較して合計4割4分の割引率ということになる。
 料金節約のため、特に往路は可能な範囲で地道を走っているが、それにしても、横須賀・横浜まで往復して1万円を切るとなると、悪くない。
 こうしてみると、高いのが不満で、極力利用を回避している現在の高速料金も、半額くらいならがまんできるのかな、という気がする。

道路情報連絡に問題あり

 なお、今回、給油の必要性を感じて、東名阪に入る手前の上郷SAで給油した。このとき、何気なくのぞきこんだ電光掲示板の道路情報で、経路である西名阪が、全線真っ赤に染まっているのに気付いた。工事のための夜間通行止めである。
 南コースの帰路に直接影響する路線で、しかも西名阪の区間は、非常に迂回しにくいところである。たまたま燃料が少なめで、立ち寄ったSAで気付くことができたのだが、分岐点前のラジオの交通情報も、路上の掲示板も、まったくこれを伝えていない。危うく見落とすところだったのである。
 結局、夜間だし、地道で迂回すればいいや、ということで、迂回路を検討した上で予定通り南コースを通ること西田が、東名阪に入ってからも、いよいよ終点が近い、というところまで、まったく電光掲示もラジオでの通知も行われていない。そもそも、東名阪での情報は、ほとんど名神のものと同じで、独自情報に乏しい。
 インターネットなどで情報が収集しやすくなったとはいえ、実際に走行している車両へのこの御粗末な情報提供は、かなり問題ありと感じた。JHに苦情をメールする予定である。


汐入
 14日(日)は横須賀で1日を過ごし、汐入のホテルに一泊した。

 横須賀中央には十四、五年前に仕事で2週間ほど滞在したことがある。ただし、早朝に起きて電車に乗り、深夜に帰ってくるという繰り返しだったので、駅周辺と構内の様子くらいしかわからなかった。
 その前となると、二十二、三年前まで遡る。ほんとうにひさしぶりの「第二の故郷」である。

 今回は、妻を伴っての完全な休暇の旅。車で来たので機動力を発揮して、観音崎公園や母校を訪れた。そしてJR横須賀から横須賀中央を中心とした市街地を、こちらは徒歩でつぶさに見て回った。
 観音崎公園は相変わらず緑深い、静かないい公園だった。また、手のつけようがないから当然かも知れないが(^^;;)、入り組んだ坂道の多い浦賀駅周辺も、それほど変わっていない。横須賀中央も、平坂から上の地域や、その裏側の道などは、ほとんど変わっていない。
 しかし、横須賀中央と、特に汐入周辺は、激変していた。

 横須賀中央の駅前は、三叉路交差点から三方に道が延びるだけのシンプルな地形なのに、視界を塞ぐ近代的な歩道橋と、それを取り囲む背の高いビル群で、車で通りかかった一瞬、自分がどこを走っているのか混乱してしまったほど、様変りしていた。ある意味、非常にスマートになり、あの横須賀独特の雑多なムードがすっかり消え去っていた。
 もっとも、この界隈の独特の雑多なムード、というのは、一地方都市のそれであり、その意味では他の同様な地域と同じく、再開発され近代化されたにすぎないと言ってもいいかも知れない。

 それ以上に衝撃的に変わっていたのが、汐入周辺である。
 米海軍基地の正門がど~んと控え、どぶ板通りという名にふさわしいやや薄汚れた小路、いかにもアジア駐留の米軍基地周辺という雰囲気の英語の看板を掲げた雑多でバタ臭い店。よくも悪くも米軍の支配地域の色が濃かった。
 それが、いきなり目の前に飛び込んで来た横須賀プリンスホテルの、背が高いスマートな姿に幻惑されたかと思うと、駅周辺に視界を遮るように建ち並ぶ巨大なショッピングセンターがたちはだかり、再び自分の今いるのは一体どこだったのかというめまいに似た感覚に襲われる。
 米軍基地のゲートは、これら巨大な建物に取り囲まれ、よほど注意しないと素通りしてしまうほど目立たなくなっている。港に面した公園を歩くと、かつてはその独特のシルエットを浮かべて見せた日米の軍用艦船群も、なぜかほとんど姿が見えない。
 さすがにそこかしこに見かける米兵の数は多いが、かつてに比較して彼らもずいぶんとファッショナブルないでたちで、こちらもひどくこぎれいになってしまったどぶ板通りを歩く彼らの姿は、束の間の休暇を楽しむ兵隊たちというより、アメリカや日本の都会でストリートウォーキングを楽しむふつうの若者としか見えない。

 私はひさしぶりの横須賀の姿を見たいのと同時に、神戸などの風景に親しんだ私達にとってすら、なんともいえない異国情緒を味わえる不思議で小さな街を、妻に見せたいと期待してきた。
 たしかに港があり、多くのアメリカ人、それも意外に他の地域では見かけることの少ない黒人たちが数多く闊歩する通りは、独特の雰囲気を醸し出してはいる。しかし、かつてのような、近代化する他の地域から取り残され、少し薄汚れ、そしてちょっと危険な、そのかわりとても魅力的で底知れないムードの漂う地域は、すっかり消え去り、首都圏周辺によくみかける、こざっぱりと清潔で集積度の高いありふれた地方都市が、そこにあった。

 今でも大好きな横須賀、でも、私の知っている横須賀からは、予想以上に、それも凡庸な方向に、変貌していた。
 私は新しいものが好きな方で、愛する神戸の街がどんどん近代化していくのを見るのが嫌いではない人間だが、昔からの港神戸にすむ人達が、あまり変わってほしくない、という気持ちが、初めてよくわかったような気がした。

つづく…

平成16年11月13日(土)、積算走行距離69,749kmでスタート

地点 時刻 経過時間トリップ(km)
猪名川町フローラ紫合(GS)22:0400:00000.0
亀岡R9交差点22:3600:32030.0
R9→R1接続(京都)23:1101:05051.0
R1→R8分岐(栗東)23:5601:52080.7
JR安土駅00:1802:14099.3
R8→R21分岐(米原)00:5002:46128.0
関ヶ原IC(名神)高速へ01:0703:03146.7
養老SA到着01:1503:11154.7
養老SA出発01:3703:33
三方原PA到着03:0905:05306.9
三方原PA出発03:2605:22
秦野中井IC地道へ05:2307:19498.0
逗子市・市境06:0307:59536.0
横須賀市・市境06:1808:14547.0
久里浜駅06:3108:27553.0
観音崎06:4108:37559.2


 564.9kmで給油、28.7リッター、燃費19.68km/l。

 休憩をのぞいたトータル時間…7時間58分
 地道…距離:207.9km/時間:4時間21分
 高速…距離:351.3km/時間:3時間37分(休憩時間のぞく)

 今朝は、早めに起きて温泉にいく予定だったが、妻が思いきり寝坊し、家を出られるようになったときには10:30近くになっていたので、中止した。しかし、これはケガの功名、いかなかったのは大正解だった。
 というのも、明日、横須賀、横浜と車で出かけるので、ネットから地図データをとってきて印刷し、ペーパーの地図を作成しなければならなかったのだが、それに予想以上に時間がかかり、結局ほとんどそれだけて一日終わってしまったのである。

 インターネットの地図は非常に便利だが、道路地図並に役に立つスケールである程度の範囲のものをプリントアウトしようと思うと大変な労力になる。マピヨンで、A4あたり、ブロードバンド向けの大型地図でも4枚くらいを取り込んで1枚に合成しなければ使いにくい。さらにそれを、20枚も30枚もプリントして貼り合わせ、1枚の地図にする。
 道路地図より安く上がるが、一枚ものの地図と比較すると、手間を考えると買った方がましかな、と思えるくらいの手間と時間がかかってしまう。
 また、道路地図としてはマピヨンでよいが、街歩きなどの目的となると、ちず丸の方がずっと使いやすい。そこで、横須賀市街など目的地については、ちず丸の地図を利用することになるが、こちらはもっと大変だ。マピヨンに比較して、1度に取り込める地図のサイズが非常に小さいのである。そのため、A4一枚分の画像を作るのに、何十枚も画像を取り込む手間が必要になる。

 何年に1度もいかないところなので、これはまあこれで仕方ない。しかしそうしてみると、高い高いと感じている、日頃お世話になっている道路地図は、実はかなりお得なのかも知れないな、といまさらながら気付くのである。

 ともあれ、これから22:00頃に出発して、兵庫県から横須賀まで車を走らせるのだが、予定の仮眠はほとんどとれそうにないし、夕方のランニングはきっちりやったので、すでにして結構眠い。せめて、やや予報に難のある明日の天気、せめて雨に見舞われないように、と願うのみである。ふわわわぁ~。ねむ。

 プログは、ブラウザ上で簡単に記事を書けることがメリットの一つである。しかし、現状、直接ブラウザに向かって記事を書くことは、賢明とは言えない。予想外の落し穴があるからだ。

 まず、ブラウザの操作ミス。もしくはバグ。なんらかの理由でブラウザが落ちてしまったり、記事の書き込みページが失われてしまったら、おじゃんである。たまたまリンクの場所をクリックしてしまったり、ブラウザ上でクリップボードの文字列をペーストしただけでそれは起こる。
 WindowsならOSそのものがハングしたりすることも珍しくない。

 それから、ブログサーバやネットの障害。実際、先日のgooブログのメンテナンスは、10:30に終わると言いながらいつまでたっても終わらず、ようやく12:00すぎに終わったが、その後もアクセス集中等でトラブルが頻発した。もっともアクセスの多い昼休みに、メンテナンス時間中待ちかねていたユーザも殺到したから当然といえば当然だが、gooもあまりに御粗末ではあった。
 私自身、書き込んで「投稿」ボタンを押したところ、エラーが起きて、ブラウザ上の書き込み記事は永遠に消滅した。この件についてそれほど非難や抗議の記事を見かけないこと自体、不思議な気がする。それくらいのとんでもないミスのはずである。

 ともあれ、そういうことで、なんらかの形でのバックアップは必須というのがブログの現状だと思う。私も、いったんワークのテキストファイルに書き出してから、それをアップするようにしている。上記のサーバトラブル時もそれで難を免れた。

 便利なブログだが、投稿済の記事についても、なんらかの形で手元にバックアップしておくのが賢明であるということだけは強調しておきたい。

 今年は早春の段階から、週末には極力ジョギングするように努めてきた。
 それ以前から、運動不足を痛感していたから水泳は心がけていて、週に一回程度、1000メートル以上泳ぐようにしていた。おかげで、確かに体力はつくことが体感できたが、階段で会社のオフィスに上がるとき、脚力はほとんどついていないことに気づいた。水泳のついでに水中歩行をすればいいのかもしれないが、それだとかなり長い時間やらないと効果が薄い気がするので、それよりも走ろう、ということになった。

 走ることには体力維持のほかにもうひとつ目的があった。夏バテ防止である。
 寒さにはかなり強いと自負しているが、夏バテはしてしまうことがある。夏バテとまでいかなくても、やはり夏から秋にかけては、非常に疲れやすくなったり体がだるくなったりする。また、暑さでよく眠れないということもおこってくる。
 学生時代には文字どおり炎天下で体を酷使したが、このときは夏バテとは無縁だった。要するに、運動不足で、冷房の効いたオフィスで仕事をするという環境がよくないのだろう。
 そこで、走ることが夏バテには効果的だろうと考えたわけである。

 走るための環境には、またとないくらい恵まれている。両側に広い歩道のある、交通量が少なく、緑の多い空気のきれいな道。体操や坂道ダッシュにもってこいの、森林公園。これらが自宅から目と鼻の先である。山や木々の緑、田園風景など景色も美しく、空も広い。
 神戸にいた頃は、週末の早朝にわざわざ車で、西宮の甲山森林公園まででかけて走っていたのであるから、そのことを思えばそもそも走ったり散歩したりしない方がもったいないような環境なのである。

 妻は、毎週末、夏場は猛暑を避けて早朝あるいは夕方に、せっせと走る私を見て、走るのがよほど好きなんだろう、とたわけたことを言うが、実際は常に自分と闘い、自分に自分で命令して走っているのが実情だ。一部のジョギング中毒の人はどうか知らないが、週末、家でのんびり映画を見ながらビールでも飲んでいる方が楽に決まっている。
 そもそも脚力の強化が目的なので、ランニングした後は6~70メートルの急坂を2~3本ダッシュすることにしている。実に苦しい。オーバーワークには注意しているつもりでも、ついつい飛ばしすぎて、あとで吐きそうになることもある。
 走ると苦しいのはわかっているから、気分的にはぐずぐずしてしまうが、暗くなると安全面で問題が出てくるので、自分に鞭を当てて着替え始めるのが常である。とにかく一度パスしてしまうと、次の週はますますしんどくなり、嫌気がさしてくるのは目に見えているから、気力をふりしぼる。

 そのおかげだろうか、今年は例年にない猛暑だったが、夜、寝苦しくてたまらない、ということがあまりなかった。冷房を使わなくても、微風で扇風機を使って外気を流し込んでやるだけで、けっこう安眠できた。
 よく眠れることのおかげもあり、夏バテ特有の疲労感もあまりなく、また、秋になり涼しくなるとえてして夏の疲れがドッと出てくるものだが、それも例年に比べるとずっとましだった。
 体重も、73キロ~75キロあたりをいったりきたりしていたのが、最近は70キロ~72キロと、だいぶ引き締まった感じになってきた。ランニングやダッシュをしていても、ずいぶんと体が軽い。

 さらに、ここにきて非常に効果があったことを身に浸みて感じていることがある。風邪をひかないのだ。
 猛暑の反動か、ずいぶん風邪が流行っている。それも、胃が痛くなるもの、咳のひどいもの、リンパが腫れて首や節々が痛むもの、など、複数の種類が蔓延しているようだ。大体今の時期、こじらさないまでもちょっとこうした秋風邪をひいてしまうことは多いと思う。
 私も涼しくなり始めの頃、ふとんを飛ばして、風邪をひいたりお腹を壊したりしてもおかしくないような状態で寝たりしたが、今年はそれで体を冷やして調子が悪くなるということがなかった。また、流行っている風邪についても、うがいに心がけるということは特にしていないし、また確かにそうした風邪をひいたかな、というような兆候を何度も感じているのに、知らぬ間に治っているのである。
 これは、地道な運動のせいであることは間違いない。もしなにもしないで体をなまらせていれば、きっと昨年以上に体力が落ちて、風邪にも餌食になっていたと思われるのである。

 やはり苦行には見返りがあるものだ。走る苦しみも、風邪の苦しみよりはずっとましだ。だいいち、走ることで体力がつくが、風邪をひくと体力が落ちるのである。損得関係ははっきりしている。
 これから、別の意味で走ることが苦痛な冬が来るが、なんとか続けていきたいものだと考えている。

 インターンのドナルド君は、週3回、各1時間の英語レッスンを社員のためにしてくれている。
 1時間は初級者向け、1時間は上級者向け、残りの1時間は社長向けプライベートレッスンである。うちの会社には、なぜか中級クラスの社員がいない。
 その見返りに、というわけでは別にないが、週一回、ドナルドのための日本語のレッスンを私がしている。前のイギリスからのインターン生は日本語がまったく話せなかったので、英語の勉強をかねて別の社員に担当してもらっていたが、ドナルドの日本語クラスは微妙なニュアンスの説明などの場合を除いてだいたい日本語でできるので、原則として私が行っているわけだ。

 前も書いたかも知れないが、日本で暮らしていても案外、日本語を集中して話す機会は少ないらしいので、この時間は半分くらいをフリーカンバセーション、残りを、日頃の勉強でわからないところの説明と、日本語文章の朗読練習に当てている。フリーカンバセーションについては、できるだけ別の参加者にも出てもらい、話し方や話題、発音が偏らないように工夫している。

 日頃の勉強でわからないところ、というのは、主として日本語の表現。例えば、今日のレッスンでは、「ふがいない」「相殺」「まっしぐら」「士気」などといった言葉のニュアンスについて質問が出た。単純な意味なら簡単だが、ふがいないと頼りないの違い、士気と戦意の違い、まっしぐらとめがけての違い、など、なかなか鋭いところをついて来るので、けっこうおもしろい。

 ところで、私以外にも、事務の女の子にプライベートレベルでいろいろ教えたり教えてもらったりしているらしい。いいことである。
 いいことであるが、この女性、ちょっとウソを教えることも多く、やや心配している。性格はすごくいい子で、アメリカにもホームステイしていたことがあるうえ熱心に勉強しているから英語もうまいが、ときどきえらく外れたことをいうことがあるのだ。

 例えば、大統領選の話から派生して、選挙の話をしていたとき。
 アメリカでは、パンチ式とかタッチパネル式とかで、記名方式ではない。また、海外を見回しても、マークシートに似たチェック式などを採用している国が多い。
 それで、日本の選挙では、という話になったとき、彼女は確信を持って、「マークシート方式だ」というのである。ドナルドが、ふーん、そうなのか、と納得しようとしたので私はあわてて否定した。一度でも選挙にいったことのある人なら間違えるはずもないが、日本では名前とか政党とかを、自分で書き込む記名式である。これは、識字率の高さと無関係でないことはいうまでもなく、外国人にとっては日本社会の状況を感得する事例のひとつといえなくもない。
 マークシート方式だ、などという以上は、一度も選挙にいったことがないのだろう(選挙権はとっくにある年齢である)が、それにしても間違った知識を堂々といってのけてしまうのにはまいってしまう。たぶんテレビか何かで見た情報を間違ってインプットしたのだと思うが、英語にせよ日本語にせよ、会話しているとちょくちょくそうしたことがでてくるので、不安を感じることがあるわけである。

 今日の日本語レッスンでも、ドナルド君が、どうしても「こぎれい」と「雑然」という言葉の意味が理解できない、と頭を抱えていた。それほど難しい言葉とも思えないのでよく話を聞いてみると、その女性が彼のために作ってくれた文章が原因とわかった。
 いわく、「その部屋は、雑然と広く、こぎれいだった」。ずいぶんと変な日本語だが、ドナルド君には文章の方が妙ちくりんだとはわからない。だから、「雑然」かつ「こぎれい」な部屋という表現が可能な、両方の単語の意味を必死で理解しようとしていたのだ。
 「その日本語はおかしい」といって、理由と言葉のニュアンスを説明すると、彼は納得すると同時に、ほっとした表情を見せた。その顔を見て、ずいぶん悩んだんだろうな、となんだか、気の毒になってしまった。

 学習者が熱心であるほど、いい加減なことを教えると害になるということの典型のような事例だが、それにしても、やっぱり英語の勉強の前に母国語だなあ、と、言い古された言葉に妙に納得した日本語レッスンであった。

 インターン生ドナルド君(仮名)には強い味方がある。「かあさん」を始めとするホストファミリーだ。
 親子三人のこのおたく、中瀬さん(仮名)は、積極的に留学生、インターン生を受け入れ、しかもわが子同然に面倒を見る。現在でもドナルド君のほかに、日本で就職して北陸にいる元ホームステイのアメリカ人もいるし、週末にバーベキューなどのイベントを行うときは、3人も4人も外国人が集まることも珍しくはないようだ。

 来日当初、すぐに会社の用意したアパートに入居して出勤する予定だったが、そうしたホストファミリーの存在を知って、私は気を利かせて最初の週は準備期間として、出社せずにそちらで過ごしていいように手配した。
 その後、週末に寝屋川にあるホストファミリーの自宅まで私が車で迎えに行き、そのホストファミリーの母娘ふたりも乗せてアパートまで行ったのだが、日用品や下着のことまであれやこれや面倒を見る「かあさん」は、まるで田舎から出てきた息子についてきた母親。これならドナルド君がホームシックになる道理もない。

 ホストファミリーの親子は、実はドナルド君の両親とも交流があり、彼の故郷のミシガン州に家族で遊びに行ったことがあるし、またドナルド君の家族も寝屋川の家にきたことがあるそうだ。彼の父親は、大きなアルミボトルのビールをいたく気に入り、握って離さなかったそうな。

 ホストファミリーと聞くと、家族は英語ペラペラ、それにもしかしたらけっこう大きな邸宅に住んでいるかも、とイメージしがちだが、意外なことに中瀬さんのおたくは、だれひとりとして英語が喋れない。ほとんどかたことですら話せないといっていいレベル。それに、お宅は、リビングのサイズもLDKに満たない、ごく普通の日本の家のサイズである。
 ドナルド君はたまたま、漢字混じりの日本語の読み書きも駆使するレベルだが、多くの留学生、交換学生やインターンはほとんど日本語が話せない。どうやってコミュニケーションを図るのか不思議な気すらするが、そんなことをまったく意に介さない、特にかあさんの太っ腹ぶりは見事である。

 日本語のできるドナルド君にとってもいい環境だと思えるのは、かあさんの遠慮のなさで、例えば、いくら彼の日本語がうまいといってもまだネイティブには遠いので、ときどき、よくわからないことを話すことがある。こういう時はなんとなくぼそぼそ話す(日本人がR音をたくさん使うと英語らしく話しているような気になるようなもの?)うえに、やたらと長い文章をつくってだらだらと言われるので、さっぱり聞き取れないと言うか、なにをいっているかわからないときがある。
 そうしたときは、まあまあやさしく聞き返すのが普通だが、かあさんは、「ドナルド、あんた何言ってるかさっぱりわからへん!」とぴしゃりとやるらしい。ときどきドナルド君もこたえることがあるらしいが、しかしこの率直さは、日本語を学んでいる彼には非常に親切である。
 実際、間違ったいい方をしているな、と思っても、意味さえ通じればなかなか直してくれる日本人は少ないが、彼女はTPOも含め、正しくない言い回しなどはビシビシ叩き直してくれるらしい。

 中瀬さんの家族を見るにつけ、国際性とか国際人とかいうものは、語学力云々とは別のところにあるという、ある意味では当然だがある意味では実感しにくい事実を、はっきりと理解させてくれる。ある面、日本人離れした家族ではある。

 すでに別の記事で触れたが、私の会社では毎年、1年間のインターン生を、海外の大学から受け入れている。
 受け入れる学生の発掘方法については特定していないが、現実的にはJETROの仲介によるシステムがもっとも確実なので、今のところそのルートのみである。

 JETROの紹介の場合は、原則的に日常会話程度の日本語はマスターしてくることになっているが、2年ほど前に受け入れたイギリスからのインターン生は、まったくといっていいほど日本語ができなかった。
 コンピューターの技術は極めて優秀だったが、アメリカ人と違って積極的に社員と交流するというところはまったくなかったうえに言葉がダメなので、ほとんどごく一部の英語のできる社員としか接することがなかった。同じ理由で、実務のプロジェクトに配員することもできなかった。

 今年アメリカからきているドナルド君(仮名)は、その点まったく対照的である。とにかく日本が好きで、今回は2回目の来日、日本語は漢字混じりの文章の読み書きもほとんど不自由しないレベルで、『能ある鷹は爪を隠す』などという、日本に6年以上いる外国人社員が知らないような表現まで知っている。
 アメリカからもってきた荷物の中には浴衣とどてらが入っているし、好きなものは温泉、という徹底ぶりである。
 そもそも、近郊に、前回来日したときのホストファミリーがいて、毎週末といっていいくらいそちらに「帰省」しているので、本人に聞いてもホームシックなどまったく無縁である。
 おかげで、出社し始めて約5ヵ月、すでにふたつの実プロジェクトに参加した。

 とはいっても、そこはやはりアメリカ人、いろいろカルチャーギャップもある。変な日本語を使うこともある。そうしたことを、カテゴリーを新設して、今後少しずつ書きためていきたいと思う。

 もともと普通の日本語であった「いぎたない」、という言葉をどのくらいの人が知っているだろうか。
 漢字で書くと「寝穢い」で、要するに、寝坊だとかねむたがりやということだが、字があらわすように、しゃきっと起きない、あるいはだらだらと惰眠を貪る人のみっともなさに対する、強い非難の言葉が含まれているように思う。

 寝起きのいい人と悪い人があるのは事実だ。いぎたない、という言葉を編みだした人は寝起きのいい人で、身近にいる寝起きの悪い人に対して非常な苛立ちを覚えた末にこういう言葉を作ったのではないかと思うが、現実問題として、自分できっちり起きられないというのは、それができる人にとってはかなりだらしなく見えるものだ。

 私は若い頃、いやおうなく叩き起こされ、しかもいきなり戦場のような状況に追い込まれる環境で何年も過ごしたので、寝起きは非常にいい。トランジスタラジオ、というのはまだ真空管ラジオのあった時代に通用する表現かも知れないが、ともかく、スイッチ入れるとすぐ音が出る、そういうタイプの人間である。
 一方、私の妻はというと、これはもう非常に寝起きが悪い。「起きられない」「寝過ごす」ことで私が迷惑を被ることはしょっちゅう起きる。そのため朝食抜きで出勤する羽目になることも、少なくない。いぎたないという言葉を作った人の気持ちがよくわかる立場にある。

 ただ、成人した今となっては、なかなか変えられないのだろうな、ということも理解できる。半ば体質化しているのである。いぎたないなあ、と口にする人が思うほど、単に意志が弱いだけではない状況なのだろう。

 これはおそらく、ここにきてしまうまでの躾の問題もたぶんにあるように思う。私の実家は、けっこう躾が厳しかった。朝、起きなければならないとき、母はこう宣言する。「一回起こして起きなかったら知らないからね。」こういういい方は、B型らしい。わが家は五人家族、みなB型だった。
 なにがなんでも起きなければならない、そうでないと他人に多大な迷惑をかける、というような場合、そしてなんらかの理由で就寝前に寝坊が予想されるくらい疲れているときは、「これこれだから、絶対に起きるまで起こして」と言えば、それに応じてくれないほど冷たくはない。
 しかし、それは特殊な場合で、通常は「起きなさ~い」と呼んで、「はい」とか「うん」「わかった」とか、なんらかの反応を示せば、あとはそれきりである。2回目はない。起きない方が悪い。泣こうがわめこうが、自己責任である。
 後で文句を言ったところで、「そもそも起こしてもらえること自体ありがたいと思いなさい」である。いわれてみればそれは事実で、母はそれがどんな早朝でも、頼めばその時間に起こしてくれるのである。ということは、その時間に自力で起きるし、そして必要ならば朝食も用意してくれる。こうした事実に私は、「おとな」を感じたし、それだけにいぎたない成人をよけいにいぎたないと感じるのかも知れない。

 私は、冷たいように見えるこのやりかたは、実のところ、非常に愛に満ちていると思う。一度は痛い目を見るが、それが痛ければ痛いほど、自分に対するシビアさ、起きなければならないときは起きろ、と自分に自分で命令する気構えができるからである。これは、その後の何十年という人生の、貴重な財産となる。

 批判する気はないが、妻の実家は違っていた。まだ親と同居しているその弟妹が、仕事のために起きなければならないとき、とにかく起きるまで何度も何度も何度も起こすのである。口では「いい加減にしろ」といいながら、突き放すことはしない。また、もしそれをすれば、起こしてもらえなかった方も、きっと起こさなかった親をなじるのだろう。でも、それがほんとうの愛なのかな、私はそう思う。甘えを甘えとも気付かない大人になるのではないかと思うのだ。

 ところで、最近妻は、朝4時に起きている。少なくとも、そのように努めている。
 本人が言うには、いままでの6時というのは、眠りの周期で一番眠いときだと気付いたのだという。前に早朝ドライブのため4時に起きたら、驚くほどすっきり起きることができた。だから、これからは毎日4時に起きる、というのである。
 感心することには、寝過ごすこともあるが、けっこうがんばって起きていることである。4時が5時になることもあるが、それでも以前のように寝過ごすことは少なくなった(なくなってはいないが)。それに、朝が早く、思い切って起きると、1日の充実感がまったく違う、ともいっている。それは素晴らしい発見だと思う。
 長年身についてきた習慣を、こうして乗り越えようとするその姿勢と努力には称賛を惜しまないところだ。また、自分は寝起きが悪いのだ、とか、低血圧(その事実はないが)なんだ、とかいって、開きなおらずに努力してみるところに、いとおしさも感じる。

 ともあれ、人生の1/4~1/3は睡眠、そしてさらに、その質と起き方は、残りの3/4~2/3の質にも、大きな影響を与えるのである。親は子の躾を、起きられない大人は自分の寝起きを、もう一度考えてみてはどうかと思う。

 スーパーなどの花屋さんに行くと、たいてい榊がおいてある。最近では仏壇もない家が多いと思うが、現にそうして榊が売られているということは、神棚などに供えるなどの一定の需要があるということだろう。わが家でも必需品なので、そのように手軽に入手できるのはありがたい。

 ところで、スーパーなどで売られているものは、ほとんどが中国産らしい。安いし見た目もきれいだが、いくら経済重視の社会とはいえ、共産党一党独裁で、神も信仰も否定する体制の国から輸入するのはどうも妙な気がする。そんなものをお供えして、喜んでいただけるものだろうか、とも思う。
 するとあるとき、尼崎の知人から、私の地元の道の駅までわざわざ榊を買いにきている、という話を聞いた。そういえば、道の駅の物産品の中に、野菜や花などに混じって榊が売られていたのを目にしたことがある。ただ、そんなに頻繁に買うものではないし、きっと高いだろうと思い込んで、買ったことがなかった。
 しかし、彼女の話では、地元産のその榊はとても品質がよくて、もちもいいという。そこで、ためしに購入してみることにした。

 まず驚いたことは、値段が安いこと。一束105円で、ジャスコの安い方の榊と同じなのである。一対でも210円である。
 それに、中国産の工業製品のような均一さはないが、よく見ると枝も葉も色艶がとてもよく、みずみずしい。なにより、猛々しいようにいきいきしている。

 実際に使ってみると、さらに驚いた。持ちが全然違うのだ。中国産のゆうに3倍は持つ。冬場なら4ヵ月以上、夏でも2ヵ月はもつ。
 なにより驚いたのは、新芽の時期に買ったものは、つぼみをつけ、さらに花を咲かせたことだ。花瓶の水は、毎日水道水を入れ換えるだけで、なにも養分は与えていないのに。ケータイで撮影したそのときの写真を掲載したが、その清らかな白い花は、神々しいくらいに感じられた。
 この、新芽の時期の榊というのは、実は枝も葉も軟らかく、弱々しいものだ。国産のそれはしかし、ずいぶんとしっかりしているものだと喜んでいたのだが、まさか花まで咲かせるとは。

 また、夏場は例年、水が腐るのに悩まされていた。実際に水が腐っているのかどうかはわからないが、とにかく毎日水を変えるのに、1日でどぶのような匂いになってしまうのだ。少しでもましなように、と水の量を調整したり太い銅の針金を入れたりしたが、根本的にはどうしようもなかった。
 ところが、この国産の榊は、猛暑でもまったく水が臭くならない。水を入れ換えるときも、古くなったはずの水はまったく新鮮に見える。同じ植物でこうも違うものかと、信じられない気がする。

 ともかく、入手が可能であれば、国産の榊はとてもいい。
 榊の持ちの悪さや悪臭に悩んでいるのであれば、少々足を伸ばしてでも、ぜひ近くの道の駅などで、国産の榊を試してみていただきたいと思う。

 確かハリウッドでリメークされる前に逝ったはずのゴジラが、なぜか説明もなく復活し、その後何作か作られたが、こんどこそ最後だ、とかうたって、大々的に宣伝している。NHKのBS-hiまで「さらばゴジラ~怪獣王と日本人がたどった半世紀」なんて長時間番組を製作するほどである。
 私が小学生の頃は怪獣ブームまっさかりで、私も怪獣ものは大好き、たまたま配られていた割引券を片手に、自転車を何キロも走らせて映画館まで観に行ったことも記憶している。しかし、いまや、すっかりゴジラ熱は醒め切っている。早くほんとに姿を消してほしい、そう思っている。

 あれほど愛したゴジラを、見たくもないと思うようになるには、やはり理由がいくつかある。
 第一のターニングポイントは、1984年のリメーク版復活ゴジラ。昭和29年の記念すべき第一作めのゴジラの、続編というストーリー設定を聞いたときから嫌な予感はしていたが、よくもまあこんなくだらない映画を作るものだとあきれるような作品だった。そもそも、長い沈黙を破って久々に勇姿を現したこの映画に、なんで「スーパーX」なんて子供騙しの代物が登場するのか、そのセンスにゲンナリした。
 この種の秘密兵器は確かにひとつの東宝の伝統ではある。そして、例えばサンダ対ガイラなどに登場する「殺人光線」というトレーラーに載ったレーダー様の特殊兵器は、あれはいまでも傑作だと思うし、それなりにわくわくさせてくれるオーラを持っている。科学特捜隊から連綿と続く、ウルトラマンシリーズの戦闘機だって夢があり、楽しい。しかし、スーパーXはまったくだめだ。

 そして第二のターニングポイントが平成ガメラシリーズの登場。設定も、ストーリーも、シナリオも、リアリティも、そしてSFXも、新しいゴジラシリーズがまったく足元にもおよばない高いクオリティで、多くの特撮ファンの飢餓を満たしてくれた。この時点で、今の東宝のスタッフが作るゴジラなど、タダでも観たくないと思った。そして、事実テレビで放映されても観る気がしなくなった。

 さらに、ハリウッド版ゴジラがとどめをさす。だいたいがエメリッヒが監督という時点で終わっているといっていい(ティム・バートンという話もあったとか。それなら一も二もなく映画館に足を運んだろう)が、実際ひどいもので、とうとうゴジラというキャラクターそのものまで魅力を喪失してしまった。

 かつてのゴジラはよかった。とりわけ、第一作めは、まさしく映画史上に残る名作、超一級のSF映画だ(ただし、その直後のゴジラの逆襲はとてつもなくひどい映画)。
 今観ると、特撮については優れた部分も多いが、やはりひどい部分もある。戦闘機のミサイルなんて線香花火のでき損ないレベルだし、ゴジラに踏み潰されたヘリコプターのシーンは、特におもちゃおもちゃしている。妻があのシーンは、ゴジラが通った後に、無惨にも踏み潰された玩具が転がっているシーンだと思っていた、という話を聞いて、思わず笑いころげてしまったこともある。
 それでも、それら全てが許せるし、かつ、映画の迫力もリアリティも損なってはいない。スーパーXとは好対照である。
 ほんとうにいい作品は古くてもすばらしい。最近、DVDをプロジェクターの大画面でみた「大魔神」も、改めてクオリティの高い、娯楽大作だと再認識した。

 今度のゴジラも、山ほど怪獣が登場するという、初めからリアリティなど追求する気のない話になるらしいが、ともかく昨今のくだらないゴジラをマスコミがもてはやすのを見るにつけ、まだ魅力のあった時代のゴジラを愛する私達そのものが、くだらないものをありがたがる幼稚な人、と位置づけられるようで嫌なのだ。

 今度こそゴジラよ、本当に逝ってくれ。もうその姿を見せないでくれ。

ダム水位

 昨日の3日は、そろそろ紅葉の季節かと、妻と一庫ダムにでかけ、管理事務所棟の横に駐車してから、県立一庫公園まで歩いていった。高台の公園まで上がって戻って来ると、湖畔沿いにぐるっと約8キロ、公園の湖畔と丘の上の駐車場はどちらも満杯で車が路上に溢れていたので、歩いたのは正解だった。
 紅葉は、まだしばらくかかりそうだった。しかし、例年になく色づき方がよく、猛暑の見返りにずいぶんときれいな秋を堪能できそうな予感である。

 さて、駐車場まで戻ったところで、管理事務所の見学室の前に、先日の台風23号に関連した最新情報が掲示されていた。こちらの記事にも書いたように、このときは一気に貯水量が増大し、相当量の洪水調整をしたに違いない、と思っていたが、まさにその通りだったようだ。
 具体的には、今回の大雨で、過去にも大水害のあった川西多田院付近では、県道が冠水し、住民の一部が避難した。このときニュースで、県道川西篠山線が冠水で通行止め、というのをみて、片側二車線のバイパスのことだと思ったが、これは早合点で、猪名川沿いの旧道の方だったようだ。
 幸い、家屋の被害は床下浸水程度ですんだようだが、ここで掲示されていた資料によると、もし一庫ダムによる大路次川の洪水調整がなければ、さらに79センチ水位があがっていたそうだ。プールのように単に水位が上がるだけではなくて、それが激しく流れるわけだから、すでに冠水していたところにこれだけの水位があがっていたら、家が床上浸水するほかに、車やその他のものが大量に流されて、大変なことになっていたと思われる。

 改めて今回の台風の雨量のすごさと、一庫ダムの治水効果が明らかになったわけだが、なぜかあまり報道された気配がない。他地域では大変な水害が出ているから、相対的にはビッグニュースではないかも知れないが、しかしこうした事実をきちんと広報することも、防災意識の向上には欠かせないと思うのだが。

 ちなみに、今回のトータル雨量は200ミリ強。今年の台風では、400ミリから、場所によっては800ミリを超えるというようなとんでもない雨の降った地域がある。もしそうなっていても、被害を小さくできたのかどうか、貯水余力や調整不能河川とのかねあいについても、よく吟味して知らせてほしいものだと思った。

 以前の記事に書いたように、K-Opti.comの一戸建て用光ファイバ(eoホーム・ファイバー)の導入に挫折した後、マンション向け光ファイバ(eoメガファイバー)をオンラインで申し込んだ。しかし、これはあくまで「御意見・御要望」のレベルで、ホーム・ファイバーの場合のように、『オンライン申し込み=正式申請』とは異なる。したがって、どのくらいで対応してくれるかまったく相手任せという状況だった。

 だが、申し込みの10日ほどあとに、早くも電話で、マンション自治会の理事に連絡を取ってくれたとの報告が入った。11/1(月)の夜のことで、夕方にも連絡をくれたが私が不在だったので改めて電話してくれたらしい。
 実は、私のマンションは、申し込み後まもなく襲来した台風23号の被害で、屋上の防水パネルが大破し、数千万円を要する修理をどうするかでいま、理事会や臨時総会が開かれるなどばたばたしている。その意味では、最悪のタイミングではあった。
 しかし、K-Opti.comの担当者の話では、理事長は今それどころではない、といったような様子はまったく見せず、ごく普通に対応してくれた、ということだった。まあ確かに別の話といえば別の話であるが。

 ともかく、ここでもK-Opti.comはYahoo!BBとはまったく違う対応をしてくれた。しかも担当者の印象が非常によい。早いというだけでなく、熱意も誠意もあふれているという感じだ。状況が進展すれば、また連絡をもらえるということだった。
 いずれにしても、動いてくれるのかどうかすら検討もつかない「放置プレイ」の心配はなさそうである。そして、思ったより早く光ファイバーの導入が実現するかも知れない。楽しみである。

 牛丼店から牛丼が姿を消して、どのくらいになるだろうか。各チェーン店とも対策として工夫を凝らしたメニューを開発しているようだが、吉野家が大幅な収益ダウンに陥っているように、なかなか苦しいようである。

 私は、肉そのものをそれほど食べない方なので、あまり牛丼は食べないが、それでもたまに立ち寄ることがある。安いということのほか、早くてそこそこうまく、腹持ちがいいので急ぎのときには重宝するのである。
 数ある牛丼店の中でも、一番のお気に入りは「なか卯」である。ここと吉野家以外は、生活圏に店そのものがほとんどないのでほとんど知らないが、少なくとも吉野家と比較したとき、なか卯の方がすぐれている点がいくつかある。
 まず、牛丼そのものについては、大差ないと思う。どちらかというと、吉野家の方がやや好きか、という感じ。でも大した違いはない。
 違うのが、つけもの。吉野家のつけものは90円だが、なか卯は60円である。それに、吉野家のものは塩辛く、あまり口に合わないが、なか卯のつけものは辛すぎないのでサラダ感覚で食べることができる。
 それから、無料で食べられる生姜。味自体も吉野家のものはまずくて、なか卯のものの方がうんとうまいが、おまけに吉野家の生姜入れのつまみバサミは、非常に小さくてとりにくい。もちろん、たくさんとりにくいようにそうなっているのだろう。どのみちそんなにたくさんほしい味ではないが。その点、なか卯のものは、おおきめで一度にたっぷりとることができるものが備えられている。その味は、甘めのだしとよくあって、食欲をそそってくれる。
 かくして、私はなか卯の方のファンなのである。

 ところで、牛丼が出せなくなってから、メインの商品として各店が準備したのが、御存じのように豚丼である。
 私は他店のものは知らないが、なか卯の豚丼は食べている。しかし、その味は当初、ひどかった。
 値段が最初400円と、牛丼に比べてずいぶん高かったのはしかたない。だが、肉は厚すぎて堅めだし、だしはほぼ牛丼のままと思われたが、肉の厚いせいもあり、豚特有の匂いがまったく消せていない。雑食の豚の肉は臭いので、生姜焼などにするのである。
 正直、これはだめだな、と思った。とてもこの味で、牛丼のような売上げを期待することは無理だ、そう思った。

 しかし、その後数ヵ月して、再度頼んでみた。このときは330円まで値段が下がっていた。企業努力は大したものである。
 ところが、値段以上にインパクトがあったのは、その味である。初期の頃とは比較にならないくらいおいしくなっていたのだ。
 肉は牛丼の感覚に近い程度まで薄くスライスされ、豚臭さはほとんどない。そして、豚特有のマイルドなおいしさが、生かされているのである。正直いって、私個人としては牛丼よりうまいと思う。
 実際、肉が嫌いで、牛丼なんかみたくもない、という家内が、この豚丼なら食べられるというのである。

 牛丼待望論は相変わらず強いが、豚丼がおいしければ、栄養や健康面では牛よりすぐれている豚の方が、むしろいいくらいだ。関西には関東のような牛肉に対する憧れはない。これは、共同購入などで関西の消費者は、牛肉が非常に高価な時代から、関東の人たちよりはるかに安く牛肉を食べていたという歴史的背景があるかも知れないし、それ以外の要因もあるのかもしれない。しかし、牛肉信仰がないぶん、豚丼が正当に評価され、受け入れられる素地はあるように思う。

 そろそろアメリカ産牛肉の輸入再開がおこなわれそうな情勢であるが、私は個人的には、全頭検査がスジだと考えている。検査不要という根拠が、科学的に見てあまりにでたらめだからである。潜伏期間を過ぎた頃、アメリカで大量に発病する人たちが出る可能性も、決して低くないと思っている。
 したがって、アメリカ産牛肉による牛丼が復活しても、今の状況のままなら私は食べないでおこうと思っている。

 その意味でも、せっかく完成度の上がってきた豚丼なのであるから、ぜひ牛丼再開後もメニューとして続けてほしい。将来ふたたび今回のような事態が発生したときの保険になるし、うちの家内のように豚丼なら食べるという人だっているのだし、牛丼派だってたまに豚丼を食べて気分転換したいときもあるかも知れない。そうなると豚丼があることで結果的に牛丼の売上げが伸びる可能性があるのだ。

 多少値段が上がっても我慢するので、今回の試練を、災い転じて福となす機会として、おいしい豚丼をぜひ残してもらいたいものである。

 先日知人から、パソコンのメールがおかしいのでみてほしい、と頼まれた。それまで送受信したメールと、サーバにアクセスするための設定が消失した、ということであった。
 Windowsでは、ときどきこういうことは起こる。おそらくレジストリか設定ファイルの一部が不正な状態になり、実際には消失していないのに、フォルダ等のデータを正しくポイントできなくなるようだ。Linux環境からすると、考えられないような怪現象である。

 少し手間はかかったが問題は解決し、元通りの環境になった。そして、彼は新しくきたメールのチェックを始めた。が、それを見て私は愕然とした。タイトルやメールアドレス、それに添付ファイルなどを見ると、あきらかにウィルスメールというものがいくつも含まれていたのだが、なんとそれをひとつひとつ開いていくのである。
 いくつかは「ウィルスバスターにより、内容が削除されました」というメッセージを表示するが、開いてもそれを表示しないものもある。そのメッセージがないということは、そのウィルスがうまく検出されず、パソコンが感染した可能性が高い。

 多少パソコンというものをしっているものなら仰天するそのような行為を、なぜ行うのか。結局彼は、ウィルス対策ソフトをいれたから万全だと思い込んでいるのである。とんでもない誤解だ。
 私は、これらセキュリティソフトは、それほど信頼に足るものでないことを説明し、ウィルスの疑いのあるメールは、いかなる場合も(特にWindowsでは)開いてはならないと、以下のように解説・アドバイスした。

 まず、これらのソフトはすでに確認されているウィルスしか検出しないこと。つまり、新しいウィルスについては、その被害が報告されて、解析され、検出するためのデータが配布されてパソコンにダウンロードされるまでは、個々のパソコンは無防備の状態だということ。
 これは、ウィルス対策ソフトの仕組みによる。要するに、これらのソフトは、ウィルスを判定するためのデータ(人相描きみたいなもん)をもっていて、それに基づいて題名、ヘッダ、添付ファイル名、そのサイズなどで判断するというシンプルな処理しかしていいない。容疑者の挙動までみているわけではないのである。
 その程度の作業しかしていなくて、それでもなお、非常に処理に時間がかかり、パソコンがとても重くなってしまう。これがウィルス対策ソフトなのである。
 ともかく、それゆえ、新しいウィルスはもとより、上記のデータに一致しないもの、いわゆる亜種についても、パスしてしまうことがあるので、メールの不注意な開封は危険きわまりない。

 また、ウィルスの中には、ウィルス対策ソフトの処理を妨害するように作られているものがある。

 それから、感染してもチェックして除去すればいいと考えがちだが、これもそう簡単ではない。ウィルスの多くは、Windowsの動作に不可欠なプログラムファイルを、自分のウィルスで上書きする。この場合、ウィルス自体を除去しても、ウィルスが上書きしてしまったファイルは復旧できるわけではないので、その結果システムが不安定になったり動かなくなったりする、ということ。

 その上で、
  ・まずウィルスバスターを最新の状態に更新する。
  ・次に、ウィルスバスターのプログラムで、すべてのハードディスクドライブをチェックする。
ということをやっておいた方がいいということ。

 以上を伝えておいた。


 それにしても、あまり知識のない人の場合、どうしても家電感覚でパソコンを使ってしまう。家電製品なら、『防水』と銘打ったラジオは浴槽につけても故障も感電もしないが、パソコンのセキュリティソフトは『ウィルスからあなたのPCを守る』といってみたところで、既知のものを検出して、排除する程度の機能しか持たない。なのに無防備にメールを開封してしまうのは、薄氷の上を飛び跳ねながら走っていくに等しい行為である。

 このあたり、売りたいばかりに、「これさえいれれば安心」みたいな宣伝をすることがあってはならない。競合製品がある場合はことさらそうなりがちだ。
 現在のセキュリティソフトがそうだとは断言しないが、知識の乏しい一般ユーザがそういう誤解を生じないよう、十分な努力を払っているとも思えない。真に利用者の立場に立ち、ただしく危険を呼びかけなければならないと思う。

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